過疎地域、墓守、家を継ぐ話

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はいみなさんこんにちは。

今日は、過疎地域と墓守の話をしていきたいと思います。

まず、私自身、過疎地域(限界集落)育ちで、しかも本家生まれなので、色々墓守の話とかに触れながら育ってきました。

それで今日は、この話をしていきたいと思います。

まず、墓守に関して。

墓守とはそもそも、お参りしたり、法事の施主をしたり、お寺へお墓の管理料を支払ったりする人のことです。

最近増えてきたのが、墓じまいという考えです。

墓じまいとは簡単にいうと、遺骨のお引越しをすることです。

墓じまい後の遺骨に関する選択肢としては、新しく建てた別の墓や永代供養墓への改葬、自然への散骨や、納骨堂への改葬、自宅供養などが挙げられます。

改葬とは、別の墓地、霊園に建てたお墓に遺骨を移して納骨することです。

墓じまいをしないと、無縁墓になってしまいます。

若者の都市部への流出が背景により、墓じまいは増えてきています。

うちも墓じまいするのかなぁ。まぁ、家は兄が継ぐので、私に発言権はありませんが。

話は変わります。墓守の話ともつながりますが、過疎地、限界集落についても考えてみたいと思います。

限界集落とは、過疎化、高齢化が進展していく中で、経済的・社会的な共同生活が難しくなり、社会単位としての存続が危ぶまれている集落を指します。

私は限界集落育ちですが、なんで、田舎の人って、合理的に簡単に都市部に引っ越さないのかなって、ずっと疑問に思ってました。

私は、保育園、小学校、中学校と3つの廃校を経験しています。

失われていく活気みたいなものはすごく感じました。

でもなんで、周りの人は土地や村の存続にこだわるのかなって思ってました。

先祖代々の土地とか、本家のプライドとか。

プライドはあっても、土地があるってだけで固定資産税もかかるわけで、私の兄が土地を相続したところで相続税もかかります。

なんで、こういう土地にこだわる文化があるのかなーって思って、調べてみました。

答えは、江戸時代の封建制度にさかのぼります。

封建制度は、領主が家臣に領土を与えて統治させたシステムです。

江戸幕府の政治システムである幕藩体制がこれにあたります。

しかし、明治時代になり、1869年、新政府は版籍奉還を行いました。

版籍奉還とは、旧藩主たちが所有していた土地(版)と人民(籍)を朝廷に返還したことを言います。

ここで、江戸時代の封建制度は終わりました。

しかし、日本の封建制度はヨーロッパのそれとは違い、将軍と氏族や血縁によって強い主従関係が生まれていたそうです。

したがって、明治政権が版籍奉還をしたところで、人民の心はまだまだ封建制度のままであった可能性が高いですよね。

ただ、そういうプライドの気持ちはあっても、村が衰退していくのは目に見えてわかるわけです。

地域活性化とか、再生ばかりが取り上げられていますが、再生する体力がその村にあるのかはわかりません。

また、その村で生まれた子どもが、社会や文化にリーチできる機会の無さも、私は懸念しています。

無理して限界集落を維持しようとするよりは、人を都市部に集めた方が、経済は効率的に回ることは明らかです。

そんな中、ターミナル・ケアといった表現で、村の末期を意識した接し方があるそうです。

村おさめ論では、いかに消滅しつつある農村を看取るかに焦点が当てられています。

色々調べてみて思ったのは、私は、自分の村が、廃村になってもいいと思っています。

なぜならば、自分が、そこで育ったがために、塾にも行ったことなかったですし、10代ならではの遊びも知りませんでした。要するに、社会や文化にリーチできませんでした。やっぱり、都市に生まれ育つということは、教育上大事だと私は思います。

ただ、廃村になる過程をただ見てるだけじゃなくて、動画や写真に撮っておきたいなとは思います。

色々収まってから、プロのカメラマンに声をかけて、地元を撮ってもらおうかなと思います。

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