引きこもり、親子間の確執、毒親、アダルトチルドレンについて

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私は大学時代、2年間、引きこもりを経験しました。

2年間休学して、バイトを転々として適当に小銭を稼ぎながら、あいた時間の大半は読書しながら、クサクサ生きていました。

私の母は教育に興味が無く、というか私に興味が無く、塾にも通わせてもらったことが無かったし、大学も、第一志望校の大学の入学試験の費用が高いということで、入試の費用が一番安い地方Fラン文系大学の一校しか受けさせてもらえませんでした。その大学にはペーパーで特待生として入学しました。

ものすごく教育費をケチられました。というか、生存費をケチられました。

私の家族のお金の使い方は、家のリフォーム、保険に入りまくり、墓や仏壇にものすごくお金をかけるというものでした。田舎の見栄っ張りな超あるあるお金の使い方ですね。

余談を言えば、私の母は学校の勉強が嫌いだったらしいです。だから自分の子どもには勉強をさせたくなかったそうです。「勉強をさせない」というのは、母親にとって愛情表現の一つだったらしいです。

話を戻しますが、私は大学時代、1人も友達を作りませんでした。真面目に大学に通うのがバカバカしくなりました。

こんな大学に通っているのは私じゃない!認められない!って思ってました。

何をしても無駄なように思え、またすべてを奪われたようにも思え、次第に大学に行かなくなりました。

そして休学しました。

今日は、ひきこもりについて書いてみたいと思います。

ひきこもりは、社会問題ではなく、当人の選択肢の一つだと私は捉えています。

働く、クサクサ生きる、家から出ない、数多ある選択肢の中の一つでしかない。

引きこもり経験者の私から言わせてみれば、多数の人と違うことをしてるって結構しんどいんですよね。しんどい思いをしてでも引きこもりたいというのは、何かしらの理由があるわけですよ。

引きこもりをしている人を養うためのお金がもう無いというのであれば問題ですが、お金に関しての問題がなければ、何も問題は無いと思います。

あとは、無理解な親に対する復讐としての引きこもり、という側面や、親子の確執の顕在化という側面が、私にはあったように思います。だけど、私のメタ・メッセージを、今でも母は理解できてないみたいだけど。

そういう私は三十路超えてから、病院でアダルトチルドレンの生贄タイプという診断が下ったのですが、まだアダルトチルドレンの昇華のためにはまだ何も手を付けられてはいません。

ただわかったことは、親も所詮ただの一人の人間で、その親には親の生きる尺度があります。「教育に関しては何も考えてない」というのも思想の一つです。

わかってもらおうと期待してしまうのは傷つくだけです。他人を変えるのは難しい。だったら自分が変わればいいわけです。

一般に、人間の幸福というのは、「自分が選択した道に進むことが出来る」という「自己裁量権」に左右されると言われている。

私はたまたま18歳の時に自己裁量権を親に奪われてしまいました。しかし大学を卒業してからは、自分の自由と責任のもとで、自分の進路を選択していけばいいのです。

完璧な親なんていません。大人になってまで親を責めるのは、時間の無駄ですね。

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