神について考えてみた

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はいみなさんこんにちは。

今日、日本書道史についてググっていたのですが、なんとなく神について考えてみたくて、考えることにしてみました。

この世には、「礼節」が重要であると言われています。

しかし、私は闇雲に権威にひれ伏そうとは思いません。

例えば茶道の権威である千利休ですが、私は本当に千利休の魅力に気付いたときに、「千利休ってすごい」って言えるようになりたいと追っています。

それまでは、「千利休はわからん」と言い続けたいです。

闇雲に権威を神格化してひれ伏すのは、思考停止に繋がると思っています。

私がキリストやアッラー、千利休、聖徳太子、藤原氏などの「神的なもの」「神格化したもの」「出来上がったもの」には、あまり魅力を感じません。

逆に、ルシファー、長屋王、大伴氏、出雲族などの、「神のなり損ない」は大好物です。なぜならば、そこにこそ歴史の真実が隠されているからです。

真実は本来、権力なんか持っていませんから。


また、調べたのですが、「権力(authority)」の語源が「創始者(originator)」と「著者(author)」というのが納得いきまくってて面白いです。
まさに「古事記」「日本書紀」の話ではないかと思いました。

色んな部族と戦って勝者となった官軍(藤原氏)が、その国の物語を執筆し、自分を英雄と見立てて国の基礎を作るのです。

日本史も世界史も変わらないと思いました。

しかし、日本には、「万葉集」(大伴氏)や「風土記」という別路線の物語も残っており、不思議な国のあり方をしているようにも思います。

話を戻しますが、東洋の神には「示す」ないしは「指し示す」のニュアンスがあり、西洋の神の語源「to coll」には「呼び求める」のニュアンスがあると思います。真逆で面白いと思いました。

西洋的神はどうやら「聴覚(声、お告げ)」によるもので、東洋的神はどうやら「視覚(光、示す)」によるものの違いがあるのかなと思いました。

また、「創始者」がfounder(基礎のニュアンス)で、profoundが「深遠な」で、proは、前とか代わりの、という意味らしいです。
神以前の時代を深遠な世界と解釈することもできますね。

神という存在は、人が暫定的に思考停止できて心安らげる場所という役割もあったんじゃないかな、と思いました。(考えることを辞めることは心を休めるということなので)

特に6世紀の人間たちは、外部環境を疑い続け思考し続けるのに疲れ、何かにすがり自分の状況を丸投げし、外部環境を信じて心休める(思考を停止する)対象が欲しかったんじゃないですかね。

私は「神」という存在にあまり魅力を感じません。

ただ、私にも、大事にしているものがあります。

それは、「ご縁」です。

私はご縁を大事にしているので、真実は変容したり両義的であったりするもので構わないと思っています。だから、ちょっと話はずれますが、「光」も、質量でもいいし波動でもいいし、そこは両義的でいいよって思っています。

「神」に関する考察はここまでです。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

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