侘び茶ってなぁに

日本文化

はいみなさんこんにちは。

今日は、「侘び茶」についてご紹介していきたいと思います。

まず、侘び茶を語るには、室町幕府第8代将軍である、足利義政までさかのぼります。

彼は、身分を問わず、芸術を支援したことで文化が栄えました。この時代の文化を東山文化といいます。

この頃に、侘び茶の流れが出来ます。

次に、村田珠光(むらたしゅこう、単に珠光と呼ぶ場合もあります)が現れます。彼は室町時代中期の人物なのですが、仏道修行に入ったあと、仏門修行のかたわら、茶の湯の工夫をします。

彼は、「月も雲間のなきはいやにて候」と教えました。

月を鑑賞しようとするとき、私たちはできれば雲一つ無い夜空で鑑賞したいと考えがちですが、村田珠光は、雲があるほうがよい、それが侘びだと教えました。

次に、武野紹鷗(たけのじょうおう)です。

彼は、戦国時代の堺の人物で、千利休の師匠です。

村田珠光の考案した「草庵の茶」を、さらに簡素化させて、侘び茶を完成させます。

彼は、和歌にお茶の精神を見出しました。

『新古今和歌集』の藤原定家の歌、「見渡せば花ももみぢもなかりけり 浦のとまやの秋の夕暮れ」を引いて、侘びを教えました。

その歌の意味は、浦のとまやには、花もなく、紅葉もなく、見るべきものがありません。

しかし、そのとまやに立って、秋の夕暮れの色に、目の前には無い紅葉を心の目で見よ、という意味だと考えられています。

最後に千利休です。

彼は、藤原家隆の「花をのみ待つらむ人に山里の 雪間の草の春を見せばや」を引きました。

この情景は、一面雪景色で、花も草も全く見えません。一面真っ白です。その真っ白のところで、しかし、雪の下には、もう春の草花が準備されています。

まだ見えない草花の気配を心で感じよ、と、利休は教えました。

以上が、侘び茶とは何たるものか、についての説明でした。

いかがでしたでしょうか。

あなたにも、あなたなりの侘び茶が見つかるといいですね。

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