貧困家庭に育つってこういうことだと思う。

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みなさんこんにちは。

今日は、貧困育ちとそれにまつわるあれこれを書こうと思います。

まず、教育の話から。

私は中学校あたりから、「あれ、数学苦手だな」と感じ、高校に入ってからは、数学の時間が非常に苦痛でした。

しかし、私の母は、

「学校さえ行っていれば勉強していることと同じ」

学校さえ行っていれば安心

という人でした。

家にいれば母からの延々垂れ流される怒涛の言葉の暴力にさいなまれるため、

しぶしぶ学校に通っていた私は、親からは安心され、教師からは問題児扱いされていました。

ですので私は、学校にも家にも居場所が無くなり、しんどい思いをしました。

それで私は解決策として、「塾に通う」という方法を思いつきました。

母にそのことを伝えると、「学校でわからん奴は塾に行ってもわかるわけがない。だいたいお金の無駄。こっちは学校にもお金払ってるんや、学校で教えてもらえ」と言われ、塾に通わせてもらえませんでした。

それからですね、私は学校に行ってまずは図書館に行き、本を借りてそのまま学校のトイレにこもって読書をし続けていたのは。

私の居場所は家でもなく、教室でもなく、保健室でも図書室でもなく、学校のトイレになりました。

そんな感じで、私の高校生活は流れていったのですが、高校3年生のときに私は祇園で芸妓をなさっていた岩崎峰子の本に影響され、大学は京都の大学に進学したいとの思いを募らせていました。

それを母に伝えると、「京都の大学は入試代がどこも高い。大学なんかどこも同じやろ。入試代と学費が安い大学にしろ」と言われました。

それで私は第一志望校の入試さえ受けられず、ド田舎の、地方私立大学を特待生で入学し、卒業しました。

私はずっと、親に「学ぶ環境」を奪われたことに対し、悔しい思いが強く残っており、その気持ちをエネルギーに変えて、日々色んなことを勉強しています。

しかし、弊害もあります。それは、定期的に書店で本を買わないと、「あー自分の時間を無駄にする」っていう恐怖感が襲います。

私はその恐怖感は誰にでもあるものなんだと思っていました。

だからその感情と共に過ごしていました。

しかし、そのことを友人に話すと、「それ、PTSDじゃね?」と言われ、驚きました。

トラウマ。

確かに「学べなかった」という苦しみは私に強く刻印されていましたが、まさかそれがトラウマであるだなんて思ってませんでした。

私はずっと、「この程度の焦燥感は適度にあった方がエネルギーになっていい」と思い、ほったらかしにしていました。

それを言えば、私がクッソ借金をしてまで、インスタグラムにキラキラ虚構の華やか写真を投稿し続けるのも、トラウマに起因していたのかもしれません。

今では、「貧困が子どものメンタリティに与える影響」など、貧困とトラウマについて研究されている論文がいくつもあります。

私は育った家が貧困だったから、色々我慢してきました。

母は「清貧」を美徳としていました。だから貯金だけはあった。

母は母で、「お金を貯めなくては」という焦燥感なり不安感なりを募らせている人だったのだと思います。

私と同様に、母にも、心に大きな穴を抱えていたのでしょう。

私は30歳を超えて、ようやく、「母は強がりだし私の前では『立派な親』になりたかったから弱音を吐かなかったけれど、母にもそういう心の穴という弱さがあったんだな」

ということに気付き、親を許そうと思います。

これからは、焦燥感と恐怖感と不安感に駆られてそのまま行動に移したり、

母親を許せなくて母親に長々と恨みの長文ラインを送るのではなく、

まず8秒かぞえて、「今、そういう感情を感じている自分がいる」と気付くことから始めてみようと思います。

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