数寄と好きと愛について

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はいみなさんこんにちは。

さて。今日は、数寄と好きと愛について書いていきたいと思います。

まず、気難しくて多彩な数寄者で有名な人物に、北大路魯山人がいます。

彼は、感性が鋭すぎる上に、非常に繊細で傷つきやすかったから、

まわりから「気難しい」って思われてたのかなと思います。

自分の、鋭く繊細な感性という武器をうまく使いこなせなくて、

圧倒的な教養の中で遊びに興じ、数寄道楽にのめりこんでいったのでしょう。

その武器は諸刃の剣で、鋭いけれど自他ともに傷つけてしまい、

人が離れていく。

本当は、愛されたいだけなのに。

北大路魯山人も九鬼周造も、それなりに普通に親に愛されて、上手く時世をやっていける人々に、無意識に傷つけられてきたの、心の底からわかる。

数寄の道というのは、先人や先生の言葉を無心に有り難がるのではなくて、

今ここで自分が何を感じられるかの話だと思う。

だから、本当の数寄の道というのは、先人や先生に、疎ましいとか、

距離を置くべきだとか、そう思われるかもしれないという覚悟が必要だと思う。

鋭利な感性で数寄に興じるというのは、先人や先生が丁寧に守ってきた伝統を、

シヴァ神の破壊と再生の力でもって変化させていくようなものだから、

本当に嫌われ、疎まれる覚悟の上でなされるものであるから、

大衆の情操教育のためにあるのでは無いと思う。

私には今、好きな人がいます。

でも、生粋の数寄道楽にのめりこんだ私がその人を好きになること自体、

その人にとって迷惑であることは間違いないことは容易にわかる。

私は、誰を好きになれば正解なのだろう。

誰を好きになれば、世の中の帳尻が合うのだろう。

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