仏像を鑑賞しよう!如来・菩薩・明王・羅漢

日本の文化・アート

はいみなさんこんにちは。

今日は、仏像についてご紹介していきたいと思います。

如来

如来(にょらい)とは、一度は悟りを開いたが、人々を救うために真理の世界から再びこちらへ戻ってきた人を指します。

完全な悟りの境地に到達した如来は、完璧な人格を備えていると考えられています。これに対して菩薩(ぼさつ)は、まだ修行中の身と考えられています。

釈迦如来像はすべての仏像の基本形です。つまり、一枚の衣だけをまとって、装飾品を何もつけない姿で造られます。

釈迦がなくなってから56億7000万年後に、私たちの住む世界に降りてきて衆生(しゅじょう)を救済する弥勒(みろく)菩薩が現れるそうです。

また、東方に薬師如来が、西方に阿弥陀如来がいるとも考えられるようになりました。

阿弥陀如来は、無限の光明で人々を永遠に救ってくれます。礼拝すれば、必ず救われるそうです。

薬師如来は、一切衆生の病気を治し、心身ともに健康にしてくれるそうです。医療の貧弱な時代にこの祈願は歓迎されました。薬師如来像は、左手に薬壺(やっこ)を持つのが特徴です。

さらに密教には、大日如来という如来がいます。大日如来とは、宇宙そのものとして神格化した絶対的な存在です。

大日如来から森羅万象(宇宙のすべての存在と現象)が現れ出てくると考えられています。

本来、如来像は宝冠や装身具はいっさい身に着けていません。しかし、大日如来だけは宝冠をかぶり、きらびやかな装身具を身に着けています。

菩薩

菩薩とは、悟りを求める者という意味です。菩薩は如来に次ぐ地位にあります。

一切の装飾品を身に着けていない如来像に対して、菩薩は、宝冠をかぶり、装飾品を身に着けた王侯貴族の姿に造られます。

これは、如来像は出家後の釈迦をモデルにした如来像と、出家前の王子時代の釈迦をモデルにした菩薩像の違いがあるからです。

文殊(もんじゅ)菩薩は、菩薩の中でもリーダー格で、知恵の持ち主とされています。右手に剣を持ち、左手に経巻を持って、獅子の上に置かれた蓮華座に座るのが一般的な文殊菩薩の姿です。

普賢(ふげん)菩薩は、徳(修行など)を司るとされています。白象の上に置かれた蓮華座に座り、合掌する姿が一般的です。

弥勒(みろく)菩薩は、釈迦がなくなってから56億7000万年後に私たちの世界に来て、龍華樹という木の下で悟りを開き、人々を救います。奈良時代以前の弥勒菩薩像は、椅子に座って右足を左足の上に組み、右手を頬にかざしている姿でしたが、これ以降は宝冠をかぶり、蓮華座上に結跏趺坐(けっかふざ)という座り方をし、手の上に宝塔(ほうとう)を置いています。この宝塔が、弥勒のシンボルとなっています。

虚空蔵(こくうぞう)菩薩は、広大な知恵と慈悲を象徴しています。密教で発達した虚空蔵菩薩は、曼荼羅(まんだら)の中に描かれたものが基本で、二つの姿があります。一つは五仏宝冠(ごぶつほうかん)をかぶり、右手に剣、左手に宝珠の乗った蓮華を持ち、蓮華座に結跏趺坐します。もう一つは、満月を描き、その中に像を描きます。

地蔵菩薩は、釈迦がなくなった後の56億7000千万年後に弥勒菩薩が悟りを開くまでの間、私たちの世界を守る菩薩です。一般には剃髪(ていはつ)をして衣を着た姿に造られています。右手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、左手に如意宝珠(にょいほうじゅ)を持ちます。

観音(かんのん)菩薩は、さまざまな姿に変化(へんげ)して、私たちを救うと言われています。釈迦如来の化仏(けぶつ)のついた宝冠をかぶり、右手に蓮華、左手に水瓶(すいびょう)を持って蓮台の上に立っているのが一般的です。

明王

密教では真言(しんごん)という呪文を重んじますが、この呪文を明呪(みょうじゅ)と言います。

明王はこの明呪に精通し、これを巧みに伝えます。

明王の中で中心となるのが不動明王です。

ちなみに密教についてもっと知りたい方はこちらへどうぞ。

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不動明王は、破壊と救済の神とされています。

また、古くから山伏(修験者)の間で篤く信仰されています。

不動明王の顔は、激しい怒りの表情をしており、髪の毛を左側に垂らしています。この髪型を索髪(さくほつ)といいます。

右手に、左手に羂索(けんじゃく)を持ちます。剣は知恵の鋭さを表し、羂索は煩悩を縛る武器を表します。

光背(こうはい)は炎をかたどった火焔光(かえんこう)を背負っています。

羅漢

羅漢(らかん)とは、修行を終え、悟りの境地に達した高僧を言います。

五百羅漢という言い方もあります。なぜ五百人なのかについては、諸説あります。釈迦がなくなったすぐ後に、経典の編纂会議が開かれましたが、そのときにインド各地から五百人の僧侶が参集したという話や、釈迦が『法華経』を説いたときに五百人の羅漢が集まったという話があります。

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