禅宗の教え(ZEN)を世界に広めた仏教哲学者、鈴木大拙はどんな考えを持っていたのか?

日本文化

はいみなさんこんにちは。

今日は、禅宗の教え(ZEN)を世界に広めた仏教哲学者である、鈴木大拙がどんな考えを持っていたのかについてお伝えしたいと思います。

現代人は閑暇(ひま)を失っている

現代人はとかく忙しいという話はよく聞きますが、鈴木大拙の考える閑暇(ひま)とは、どういったものなのでしょうか。

現代人の悶(もだ)える心には、真に人生を楽しむ余裕はなく、ただ刺激を追って、一時的に快楽を楽しんでいるに過ぎない、と言っているのですね。

理想の生活は、ゆったりした教養的享受のためにあるのか、快楽と感覚的刺激を求めるためにあるのか、どちらでしょうか、と彼は問題を提起しています。

最近では、「効率よくプログラミングで稼いでセミリタイアする」だの、「稼ぐこと以外の思考は捨てろ」だの、色んな台詞が流行していますが、私はそんな流行語には乗りません。私は常に、教養的享受を採択したいと思っています。

生活様式が、美術的作品となる

禅者は、生活様式がそのまま、美術的作品となると彼は言っています。

私たちは自然の恵みによって、「生きるということの芸術家(アーティスト・オブ・ライフ)」を実現できるのです。

生きることの芸術家のあらゆる日常の行為は、独創と創造性と個性を表します。

したがって、あたかも吹く風のごとく、思うがままに振る舞えばよいのです。

人間は人工知能にはなれない、ならないのである

人間性というものは、機械化してしまうと無くなってしまいます。

人間の創造性、潤いとか柔らかみとかいうようなものがなくなってしまう。

人間はどうしても機械にはなれない、ならないのです。

これは現代に当てはめると、人工知能の話にも繋がりますね。

禅は生きた事実

禅は生きた事実なのです。

知性へのうったえは、それが生命からまっすぐに出てくるかぎりにおいてのみ、生きたものとなります。

そうでない時には、机上の形而上学的な知的分析をどれだけ重ねようとも、禅を学ぶ上の助けにはなりません。

実際に禅の教えは、私たち自身の日常生活の行いを大事にしています。

言葉は記号に過ぎない

言語は記号に過ぎず、もの自体ではありえません。

ところが、言葉というものはあまりに便利なので、私たちはともすると、それを実在だと認識してしまいがちです。

お金だってそうです。お金は元々、価値のある物の代わりです。しかしそれがあまりに便利なので、私たちはお金そのものに価値があるかのように扱うようになってしまいます、

言葉はお金のようなものです。禅僧たちはこのことを良く知っています。

実際、禅の教えには、「不立文字(ふりゅうもんじ)」という、本当に大事なことは言葉に拠らない、という言葉があります。

人間の特典とは

人間は苦しむようにできていて、その苦のゆえに、苦を離脱するとも克服するともいえるのですから、苦を避けるのは人間らしくないということになります。

苦しみ能(あた)うということが人間の特典であるとすれば、十分にこれを味わっていくべきでしょう。

苦を避けるというのは、人間という自分の特権を棄てるということになります。

これは斬新な考えですね。今日から、何かつらいことがあったら、「人間の特典を今まさに味わっているんだ」と考えてみようと思いました。

人間と人間の衝突をどう考えるか

人間の性質には、矛盾というか、衝突というか、そういうものがありますが、それこそがすなわち人生であるとも言えます。

矛盾、衝突、それをそのままにして置いて、そうしてその間を生きる、という方法もありますでしょう。

矛盾や衝突がある上で、そういうものを認めることで、それが解決する、と言えるかも知れません。

鈴木大拙さんは主に、1950年より1958年にかけて、アメリカ各地で仏教思想の講義を行ったそうです。

つまり、敗戦後ですね。日本とアメリカの間柄を思って、人間と人間の衝突の話をしたのではないかと私は思っています。

「世界人としての日本人」としての務め

現在(1947年)のところでは、自分は世界人としての日本人のつもりでいる。そして日本人として、世界中の精神的文化に、貢献すべきものがあると信じている。

これを世界に広く伝えるのが日本人の務めだという覚悟で生きている。

海外の放浪もその時には何の役に立つのかと思ったこともあった。が、今になってみると、またとない経験であった。

とても興味深い言葉だと私は思いました。1947年といえば、敗戦直後です。

私は彼の思い、戦後を体験した人々の思いを、繋いでいきたいと思いました。

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