日本の学校の先生って、何らかの権力から、思考停止を強要されてるの?~日本教育の闇~

学校生活、教育

はいみなさんこんにちは。今日は、日本の教育制度の闇について見ていこうと思います。

まず、「学ぶ」とは、人生を豊かにしたり、楽しむためにするものだと私は考えています。

教育を受ける子どもたちが真の豊かさや幸せを手にしてほしいのであれば、的確な情報を自分で探し当てる能力と、それを使いこなす能力を身に着けて、自分の価値を高めていけばいいのです。

なにも、いい大学に入ってブランド企業に入ることだけが幸せとは限りません。

しかし、現状の教育では、そのような機能は持ち合わせていません。

まず、集団行動から外れてしまう子は、落ちこぼれ扱いされてしまいます。

「みんなと同じ」が正義なのです。

また、税金をはじめとしたお金の勉強を全くしません。したがって、「お金って怖いし、お金の話は汚いから、とりあえず貯金しておけば安心かな」と認識してしまう。

さらに、日本の教育は、必ず正解は一つと決まっています。

しかし実社会は、正解が無いものの方が多いです。もしくは、複数の正解がある、という場合もあります。

その人にとっての正解があるわけで、みんなにとっての正解があるわけではありません。

そのような柔軟な正解のあり方に、現状の教育では対処できない。

そして、知識は詰め込まれるけど、実際にどう使えばいいかわからない。

知ってることが価値なのではなく、考える事、使える事、行動に移せる事が本来は価値なのです。

完璧を求め過ぎる風潮もあります。したがって、失敗を恐れる思考が植え付けられてしまいます。

ITや人権、法律などを学ぶ機会は無いのに、道徳という謎の授業だけはずっとあります。

道徳という授業は、戦前の「修身」という教化が下敷きになっています。

学校というのはそもそも、子どもたちが社会に出ても困らないように学ぶ場所のはずです。

産業化時代、工場労働者を量産するためには大変価値のある教育方法だったと思います。

しかし、現在は産業化社会ではありません。

現代社会を生きる私たち人間は、現在の教育機関(小中高)を卒業したところで、真に豊かになるための道を、自らの手で開拓することができるでしょうか。

なぜ日本の教育制度は変われないのか

なぜ日本の教育は変われないのでしょうか。

それこそ教員という者は、工場労働者を量産するためのロボットとしてしか機能していないのでしょうか。

何らかの権力から、思考停止を強要されてるのでしょうか。

まず、学校には関係者が多すぎることが問題として挙げられるそうです。

関係者が多い状態は、革新に挑戦するときには不向きだと考えられます。

また、教育委員会がOKしなければ学校は基本的に動けないという現実もあります。

それから、学校は安全最優先の場であることが挙げられます。

主体的に深い学びを実現するよりも、安全を最優先させます。

安全を最優先させるには規律やルールが必要ですし、保守的にならざるを得ないのです。

よって、自由でクリエイティブな教育をするのは難しいのだそうです。

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