自己破産して借金を踏み倒せばいいと思っていた私が、山口周著『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』を読んだら・・・

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はいみなさんこんにちは。

今日は、自己破産して借金を踏み倒せばいいと思っていた私が、山口周著『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』を読んだら・・・について書いていきたいと思います。

まず、私がどんな風に育ったかについて書いていきましょう。

私の育った家庭は非常に複雑でございました。で、まぁどういう風に複雑だったかは割愛します。

そして、複雑かつ非常に貧困でした。塾に行くお金もなく、家族で旅行に行った記憶もなく、家の中が常になんだか澱んでいて、かつピリピリしていて、祖母がよく私に、「お前がそんな悪い子なら施設へ送るぞ!」と口癖のように言っていましたが、私は「こんな家にいるのは嫌だ!施設へ行きたい!」と言い返したら、まぁ叱られるというような、そんな家で育ちました。

そんなこんなで大人になってからは逃げるようにして実家を離れて京都に移り住んだのですが、京都と言えば、お嬢様がごろごろいるわけですよね。

私からしたら、塾に通わせてもらえて国立大学に通わせてもらえてる人はだいたいお嬢様に見えるわけで、なのでお嬢様がごろごろいるように見えたわけです。

そしてある日、本当のお嬢様を目の当たりにするわけです。

ひとりっ子で、父と母の両方に溺愛されて、働かずして好きなように海外旅行に行ったり、インスタグラムに好きなだけ自分の写真を投稿したり、好きなように、風のように生きるお嬢様と私は出会うわけです。

非常に悔しい思いをしました。

私には圧倒的に経験が無い。学が無い。無い無い尽くしだと。

本物のお嬢様と出会った私は、何か、自分の中の、我慢していた何かの糸が、プツンと切れました。

マキャベリの言葉に、「目的のためには手段を選ばない」という言葉があります。私はこの言葉を、おそらく間違って解釈し、その言葉を胸に、豪快に遊び倒す日々を送るようになります。

なぜ私が労働に勤しんでいる時間で、彼女は遊んで暮らしているんだ、不公平じゃないか。

私は仕事を辞めました。

借金で生活するようになります。

最後は自己破産で借金を踏み倒せばいいじゃないか。

そうやって私は豪快に遊んではインスタグラムにキラキラ写真を投稿して自分の自尊心を満たしていく、という地獄ゲームに堕ちていくわけです。

地獄ゲームの心理状態に関しては、下の記事に詳しく書いてあります。

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さて、私の地獄ゲームが終わったのは突然でした。多重債務で首が回らなくなり、私のお金の使い方では自己破産出来ないと弁護士に言われ、私の地獄ゲームは終わりを告げました。

私の生き方は間違ってたんだ、ということにそこで初めて気付くわけです。

ここに、美意識の話がでてくるわけです。

実定法主義とは、「明文化されたルールだけを根拠として、判断の正当性の考察には踏み込まない」という考え方です。

自然法主義とは、「自然や人間の本性に合致するかどうか、その決定が『真・善・美』に則るものか」を重視する法哲学です。

自然法主義を考えれば、私のそれまでの生き方は、美意識に反するものである、と言わざるを得ません。

また、自然法主義を考えるならば、「法的にはギリギリOK」というモノサシで自分の生きざまの舵を切るのではなく、「美意識に基づく自己規範」で生きていくことが大切なわけです。

私は貧困家庭から脱出を試みたものの、キラキラインスタアカウントを目指す挙句、貧相な心を作り上げてしまったわけです。

では私はこのまま、貧しさスパイラルから一生抜け出せないのでしょうか。

そんなことはないと私は考えています。

私は大きな過ちを犯し、初めて心のうちの美意識のモノサシで自分を律していくことの大事さに気付きました。

「良心」というのは、「気付き」であると私は考えています。

お嬢様と同じ地球という土俵で生きていくために、自分も同じようにインスタグラムのキラキラ具合を競うことは、別段重要ではないことにも気付きました。

私の強みは、知的好奇心と知的欲求です。

「合法なら何をしてもいい」という情報をかき集めるために自分の強みを使うのではなく、自分の美意識という芯に基づいて、情報収集を続けていけば、きっと道は開けていくはずです。

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