茶人の歴史から見る「好きを仕事にする人が勝ち組」という大嘘・欺瞞

日本の文化・アート

みなさんこんにちは。

今日は、みんなが大好きな言葉「好きを仕事にする」を、日本史から斬り崩していこうと思います。

まず、好きな事を結局のところ仕事として選択した人はいます。

しかし、その人が幸せになったかどうかは知らん。

スティーブ・ジョブズは思想家になりたかったけれどその道へは進まなかった。

ホストのローランドはサッカー選手になりたかったけれどそうはならなかった。

与沢翼は弁護士を目指していたけれどそうはならなかった。

有名な人って、実は好きな事を仕事に選んでいたわけでは無いんですな。

ここで日本史の話をしましょう。

古来より、日本の数寄(好き)の道は、仏門への隠遁と深く関わってきました。

数寄の道に没頭するための遁世の姿をとることが、芸の道であった。

つまり、好きなことに没頭するために仏門へ入るという方法が、昔からとられてきたわけですね。

しかし、遁世といっても出家ではありません。完全に仏門に入ってしまうわけではありません。

普段は世間の仕事をする俗人なわけです。半僧半俗。

これが、昔の千利休や武野紹鴎などの茶人のあり方でした。

完全に出家してしまえば、やれ檀家さんからお布施をいただき、寺の維持につとめなければならないなど、

仏門の維持・発展のためのマネタイズなども行っていかなければなりません。

要するに、茶道の歴史に限って言えば、

「数寄(好き)を仕事にする(好きな事をマネタイズしていく)」という道で芸が開花した歴史は無く、

俗世の仕事をしながら、仏門で数寄を極めていったのですね。

つまり、数寄とマネタイズを完全に分けていました。

そういう人のことを、当時は千利休のような人物を半僧半俗と呼んでいました。

「現代は時代が違うんだ!新しい時代は好きなことを仕事にする道だってあるんだ!」

というご意見もありますでしょう。

それを実現したい人はどうぞご自由に。

しかしながら、自分の好きなことをマネタイズすることが成功者、という現代の宗教観ないしは価値観が流行しすぎていて、

その考えに固執して他人と比較したり、他人を軽蔑したりする人が現代には多いのが事実です。

正直、自分の好きな事が出来てさえいれば、それがマネタイズされていようがされていまいが、どうでもいい、というのが、

私の見解でございます。

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