シルクロード美術鑑賞

ペルシア芸術の装飾への情熱は、B.C.4000年の彩文土器の器においてもすでに明らか。

古代ペルシアには、雨をもたらす天空への篤い信仰心があった。

スーサ出土の彩文土器・・・太陽を表す丸型と、天空を表す四角い波型が描かれている。この器が、天空からの雨水を祈願する信仰と深い関係がある。

ジヴィエの遺宝・・・金工技術の水準の高さがうかがえる

→黄金への飽くなき執着が想像できる。

ペルセポリスの春は、賑やかな朝貢行列で始まる。このペルシャの王宮を目指して、インド人もサカ人も、アルメニア人もエラム人も、それぞれの民族衣装で身を包み、遠路をはるばる行列をなして朝貢にやってくる。

ペルセポリス王宮は、B.C.6世紀、アケメネス王朝のダレイオス大王によって着手された。

大王は、古代ペルシャの新年(ノー・ルーズ)、すなわち春分の日に、属州の代表者たちを集めて忠誠を誓わせる儀式のためにペルセポリス王宮を造営したと言われている。

ペルセポリス王宮の建築は、当時の富と材料と技術の結晶だった。

ペルセポリス王宮にはダレイオス大王を始めとする王たちの世界が凝縮されていた。

しかし、マケドニアのアレクサンドロス大王の侵入によって炎上してしまった。

アフガニスタンは古代からラピスラズリの一大産地である。

アフガンから出たラピスラズリは、ペルシャをはじめ、メソポタミア、シリア、エジプトへと運ばれた。

モザイクは、古代西アジア現代にいたるまで、様々な素材と技法によって作られてきた。

都イスファハーンを中心として栄えたサファヴィー朝は、ペルシャ美術史の中でも芸術様式が完成された画期的な時代だった。

ヨーロッパや中国の芸術との国際的な交流にも刺激され、多彩な展開を見せた。

ササン朝時代から水準の高い作品を生み出してきた染織工芸も、この時期に最盛期を迎えた。

ペルシアの古都イスファハーンのイマーム・モスクは、17世紀のサファヴィー朝のアッバース大帝によって建設された。

当時のイスファハーンはまさに黄金時代にあった。

イスラム美術には、性格の異なる2つの美術の流れが見られる。

一つはイスラム教の教義に基づく宗教美術。イスラム教には神の像をはじめ人物を描かないという掟がある。

そして、もう一方は当時の王侯貴族たちを後ろ盾にして発達した世俗美術。

華麗なカーペットやミニアチュール、イスラム陶器などの工芸品には、人物像や動物が頻繁に現れる。

糸杉は豊穣を象徴する聖樹として、ペルシャにおいて古くから好まれ多くの美術工芸品に登場する。

天に向かってまっすぐ伸びる糸杉の姿は、天空信仰を持つ西アジアの人々の感覚に強く訴えかける。

ミニアチュール(細密画)はイスラムの代表的な絵画である。

<ペルシャの歴史>

イラン高原には、B.C.6000年ごろは麦を中心とした農耕が始まっていた。

B.C.3000年ごろエラム人国家が建設された。

エラム王国は、アッシリアの攻撃を受けて滅亡した。

B.C.2000年ごろ、中央アジアの遊牧民であるアーリア人が南下し、イラン高原やインドに住み着いた。そこでアーリア人はイラン人とインド人に別れていった。彼らは鉄器を使用した。

その後、ペルシャ人により、B.C.550年ごろ、アケメネス朝が建国された。

しかしそのアケメネス朝はB.C.330年にアレクサンドロスによって滅ぼされた。

A.D.226年、ササン朝ペルシャが興った。ササン朝はゾロアスター教を国教とした。

しかし651年、ササン朝はイスラム勢力によって滅ぼされた。

その後1501年、サファヴィー朝が興った。

1598年、サファヴィー朝のアッバース1世はイスファハーンを都とし、この頃は、「世界の半分」と言われるくらいイスファハーンは繁栄した。

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