社会学入門

<家族の未来>

・個人的なものの領域・・・「情緒」という内的な欲求のみに基づいて切り結ばれる関係性を基盤にしている

→ゆえに近代家族における情緒の優位性がますます顕著になる

・現代社会における親密性の領域は「純粋な関係性」を軸に形成される。

純粋な関係性・・・その関係のためにのみ切り結ばれる

・コンフルエント・ラブ・・・純粋な関係性を志向する愛の形態のこと。これは、誰とどのような関係を結ぶかだけが問題である。現代では、誰をどのように愛するかということが、その人が何であるかを決定する。

・個人的なものの領域・・・逆に言えば、否応なく特別な意味を帯びて立ち現れてくる「誰か」を「特別な人」として選び取り、その人と親密で「特別な関係」を結びたいと欲して、一つひとつの関係を積み上げていく場。

<安全性の政治>

・マックス・ウェーバー・・・権力とは、ある社会関係において、自らの意志をたとえ抵抗に反してでも貫徹することのできるすべての可能性

・支配において特徴的なのは、服従する側が、服従することを、何らかの形で自ら欲しているという事態。

・権威による支配・・・服従者が自己の利益に反してでも、ある命令にしたがう点に特徴がある。

1,現に存在する権力を記述する場合、権力を自由と両立不能なもの、あるいは禁止や抑圧によって個人の意志を否定するものと見なしてはならない。

2,権力を、ある特定の人間が所有するものと見なしながら、それを支配する者とされる者という二項対立に還元してはならない。

では、西洋近代において権力と自由が、とりわけ国家なるものとの関連で、どのようなものとして表象されてきたのか?

「人間は社会(ポリス)的動物である」というアリストテレスの言葉に表現された伝統的な政治哲学とは、国家社会が個人に先立つ、というものだった。

しかし、ホッブスは問題を転倒させ、個人を出発点としながら国家社会の存在理由そのものを問うた。

→存在の立証責任はルールや国家の側にある。

国家社会の存在理由、その目的・・・ホッブズが自然状態における「万人の、万人に対する戦い」を想定した。ホッブズが権力の正当性と見なすものは何よりもまず「安全性」。

カントーロヴィチは、絶対王政期のヨーロッパで王に与えられた奇妙なメタファーに注目している。国王はしばしば不死鳥に例えられた。

→王は「自然的身体」と同時に「政治的身体」を有する。「政治的身体」を有するがゆえに、王は不死の存在(不死鳥)たりうる。

不死鳥・・・個体が同時に実在する種の全体であり、その結果、種と個体が合致するような状態を不死鳥は表現している。

つまり、王の政治的身体とはその個体的身体の中にすべての臣民によって構成される国家社会全体を包摂してしまう存在として表象されていた。

しかし、ホッブズが提示した近代の政治哲学は、国王と臣民の関係を、つまり王の自然的身体と政治的身体の関係を逆転させた。国王は臣民の集合体である政治的身体を、臣民の不死性のために、その安全性と生命のために、つまり臣民が気遣いなく生きられるようにあらゆる気遣いをすべき。

重商主義・・・国家の源泉を人口に見出す。

ウィリアム・ペティ→「政治解剖学」あるいは「政治算術」とは、国内の人口動態を詳細に把握し、その増大を確実なものとする諸政策を基礎とする統治術。

ポリツァイ学・・・安全性に基礎を置くホッブズの政治学と国富の源泉として人口をとらえるペティの経済学を統合した。その代表的な論者であるゾンネンフェルスは、社会の由来を次のように説明する。全体の幸福を促進するための様々な諸手段は、すでに社会の拡大そのものの中に見出せる。

ポリツァイの政治哲学が、医療の社会的重要性を喚起するのは、言わば当然。

医療ポリツァイの完成者であるフランクは医学の立場から、生命と健康を維持するため人びとのあらゆる生活の場面に介入することを企てた。

ポリツァイは啓蒙絶対主義の別名。

フリードリヒ二世・・・君主は人民の幸福を気遣い、これを他のいかなる配慮よりも優先させなければならない。君主は、人民の第一の下僕にすぎない。

フランクによれば、ポリツァイとは、文明化によって堕落した人間の生活を再び自然に立ち戻らせるための手段。

自由主義の政治哲学は、こうしたポリツァイのパターナリズムをすでに批判していた。

カント・・・何びとといえども、彼自身の流儀(すなわち彼自身が他人の幸福であると考えているようなあり方)によって私を幸福たらしめようと強制することは出来ない。

他人の自由を侵害しないならば、各人は自分の幸福を、自分自身が適切であると見なす方法で追求してよい。

カントにとって啓蒙とは、「人間が自らまねいた未成年状態から抜け出ること」であり、他人の指導なしに自らの悟性を用いて生きていくことである。

社会に必要なのは、法律によって各人にその自由を保障する法的制度。

専制政治・・・臣民のあらゆる自由を奪い、その結果、臣民が何の権利も持たないような国制。

啓蒙の時代の自由主義は、それ自身、依然として特定の人びとの意志を抑圧する権力であり続けたということ、また他方で、それは「規律訓練」という権力技術を、かつてないほど社会のすみずみに広げていったことに注意しなければならない。

ハーバーマスによれば、「市民的公共性」はやがて福祉国家の形成と拡大にともなって、逆に国家による浸食を受けることになる。

マルクスは、市民社会(=ブルジョア社会)における安全性の欺瞞を告発する。自由と自律性を享受しているのはブルジョアジーという特定の人間にすぎない。

19世紀に「社会的」という概念を中心に展開された知と実践の営みはすべて、この安全性の自己矛盾の克服を課題にしていた。

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