禅の教え 道元 正法眼蔵

末法思想の時代、釈迦の教えを正しく教える者、つまり正法眼蔵を持ってる者さえいれば、釈迦の教えが廃れることは無い。それが道元の信念だった。

「仏教においては、人間はもともと仏性(ぶっしょう、仏の性質)を持ち、そのままで仏であると教えている。それなのになぜ、わたしたちは仏になるために修行をしないといけないのか」と道元は問うた。

悟りは求めて得られるものではなく、悟りを求めている自己のほうを消滅させる。悟りの世界に溶け込む。「悟り」の中にいる人間を仏とすれば、仏になるための修行ではなく、仏だからこそ修行できる。それが道元の結論。

「現成公案」では、「わたしたちのいま目の前に現れている世界の構造」を明らかにしようとしている。

私たちが世界をあるがままに認識できたとき、私たちは仏教者になれる。

「涅槃」とは、煩悩を克服すること。

「涅槃」の対義語が「生死」。

悟りが目的で修行が手段なのではなく、修行の中に悟りを見、悟りの中に修行がなければならない。それが道元の考える禅。

禅仏教は、生活禅。日常生活のすべてが修行。

「諸悪莫作」・・・悪いことをしないのではなく、ごく自然に悪いことができなくなる。悪を思いとどまることができるようになる。そのための修行。

<八大人覚>

1,少欲・・・物足りないものを、物足りないままにしておくこと

2,知足・・・与えられたものを、全部が全部自分のものとしないで、一部を他人のために回すこと

3,楽寂静(ぎょうじゃくじょう)・・・寂静を楽しむ。喧騒の場所を離れること

4,勤精進(ごんしょうじん)・・・精進に勤める。おのれ一人の利益のためにがんばらないこと

5,不忘念(ふもうねん)・・・常に仏法を持っていること

6,修禅定(しゅぜんじょう)・・・心静かに真理を観察すること

7,修知恵(しゅちえ)・・・知恵を修得すること

8,不戯論(ふけろん)・・・あるがままに受け取ること

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