禅入門

達磨・・・5世紀後半から6世紀前半に生きた中国の僧。禅宗の開祖。インドに生まれ、470年ごろに中国に入り、9年間、壁の前で座禅したと言われる。

白隠・・・江戸中期に生きた禅僧。臨済宗の中興の祖と言われている。臨済禅の復興に努める。

禅定(ぜんじょう)・・・思いを静め、心を明らかにして真正(しんせい)の理(ことわり)を悟るための修行法。釈迦は菩提樹の下で、禅定によって悟りを開いた。この禅定に深く着目し、体系化していったのがインドの達磨。

白隠は、禅の世界を体系化し、修行の眼目を明確に規定し、素人でもとっつきやすいものに整理し直した。

それまで念仏が中心だった日本の禅道を、白隠は、公案中心の禅に変えていった。現在の臨済宗は公案が教えの中心となっている。

私たちは様々な欲望に捉われている。禅はそこから自由になり、「無念無想」を目指す。

無心にならなければ道は得られないが、無心になろうとしている間は、やはり道は得られない。

4世紀後半から5世紀にかけて生きた鳩摩羅什(くまらじゅう)は、多くの経典を中国語に訳して紹介した功労者。鳩摩羅什の訳したもののうち、禅の経典として有名なのが「坐禅三昧経」の三巻。その教えによれば、禅の修行には「声聞道(しょうもんどう)」「縁覚道(えんがくどう)」「仏道(ぶつどう)」の3つがある。

声聞道とは、仏の教えにただひたすら従って、煩悩を遠ざける道。

縁覚道とは、師につかず、自身の中の煩悩を断ち切る道。

仏道とは、自利利他の菩薩の修行を収めて自らを高めようとする道。

達磨の一番弟子である慧能は坐禅修行によって「無相・無念・無住」になることが肝要だと説いた。

無相とは、外見にとらわれないこと。無念とは、外界の刺激に惑わされないこと。無住とは、すべてに執着しないこと。まさにこれが禅的な発想。

禅での主人公とは、「真実の個人」のこと。本来本性の自己を指す。

<禅語>

明歴歴露堂堂(めいれきれきろどうどう)・・・「正法眼蔵」より。真理は歴然と明らかにして堂々と顕露しており隠されたものではない。

→余計な発想から離れた心の目は、すべてがクリアになり、本物の世界が見えてくる。

冷暖自治(れいだんじち)・・・「正法眼蔵」より。流れる水が温かいのか冷たいのか。自分で触れてみなければ知ることはできない。

放(はな)てば手にみてり・・・「正法眼蔵」より。禅の修行を経て物事への執着心を捨てることで、真理に近づくことができる。

行住坐臥(ぎょうじゅうざが)・・・「心地観経(しんじかんぎょう)」より。「行」は歩くこと。「住」はとどまること。「坐」は座ること。「臥」は寝ること。これらはすべて日常の立ち居振る舞い。これらはすべての日常の中に、禅の修行はある。

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