はいみなさんこんにちは。
今日は、アートと真摯に対峙することについて、考えてみたいと思います。
私は極貧家庭に育ちました。
したがって、アートは私にとって常に上流階級へと繋がる切り札、ツールでしかありませんでした。
でも最近、アートをそういう風に捉えることが心底嫌だなと思うようになりました。
もっと、アートと真摯に対峙したいと思うようになりました。
それで、「アートと真摯に対峙する」ってどういうことなんだろうと考えあぐねて
書店をぐるぐる巡っていましたが、「有名な絵画の説明文を読む」ってことではないんですよね。
それで、近々ギャラリーを巡って絵画作品を購入し、部屋に飾ろうと思うに至りました。
私は今まで、とにかくアートに関する情報を集めることだけがアート活動だと思っていましたが、
最近、応援したいなって思う画家やミュージシャンと出会い、
「その画家の作品を部屋に飾りたいな」とか、
「そのミュージシャンのコンサートに行きたいな」とか思うようになりました。
そもそも、応援したい画家やミュージシャンがいることは、幸せなことなのかもしれないと思いました。
さて。私にとってアート活動とは絵を描くことでも楽器を演奏することでもなく、
アート作品を購入して部屋に飾ったり、コンサートに行ったりすることですので、
キレイごと抜きで、お金がかかります。
そういうわけで私にとってアート活動というのは仕事(マネタイズ)もアート活動に含まれ、
つまりアート活動とは生活そのものなんだなと思うに至りました。
そういう意味ではアート活動とは鈴木大拙のいうところの禅であり、茶の湯であることと同じなんだな、
という結論に至りました。
パッと聴いて「美しいな」と思うドビュッシーがいたり、
パッと観て「美しいな」と思うモネがいて。
対して、「なんだろうこのモヤモヤした気持ちは」にさせられるワーグナーがいて、
「なんだろうこのモヤモヤした気持ちは」にさせられるデュシャンがいて。
どの作品も私にとって無関心ではなくて、
そういうモヤモヤするワーグナーやデュシャンを媒介(代弁)する
指揮者のコンサートを聴きに行ったり、
キュレーターの企画展を観に行ったり、
そうやってアートと対話することで、アートと真摯に対峙してみたいと思いました。
執筆者:山本和華子
私の本、『世の中のみかたを変える 週末、アート』が出版されました。


