茶花あれこれ ~梅、蓮、椿、菊~ ~日本文化紹介シリーズ~

みなさんこんにちは。

今回は、茶花のさまざまなお話をしていきたいと思います。

目次

元々中国では、六朝時代(3~6世紀)からで、初春に梅を鑑賞した漢詩が数多く詠まれていました。

梅は日本へ、奈良時代に薬用として持ち込まれたのが最初です。

日本の文学における梅の初見は、漢詩集の「懐風藻(かいふうそう)」の詩で、当時の中国の影響を受けて梅が歌われています。

「万葉集」では120余首、梅が詠まれていますが、「古事記」や「日本書紀」には梅は見られません。

わが国に梅の花散るひさかたの天(あめ)より雪の流れくるかも

上の和歌は、大伴旅人が詠んだものです。

当時、梅が開花する季節になると観梅の宴が開かれていたようです。

この和歌は大伴旅人が宴を開いたときに詠まれたもので、白梅の散る姿が雪のようだと詠っています。

なお、紅梅は平安時代に移入されたようです。

「万葉集」には「はちす」という名で蓮が詠まれた歌が残っています。

奈良時代には蓮の花を鑑賞する宴が宮中で催されていたようで、花の美しさよりも葉の上にたまった水玉の美しさが詠まれています。

ひさかたの雨も降らぬか蓮葉(はちすば)に溜まれる水の玉に似る見む

訳)雨よ降っておくれ、蓮の葉にたまった水の玉に似たさまを見たいのだ。

この時代には、まだ仏教色は見えません。

平安時代になると、次第に仏教色が入ってきます。

はちす葉のにごりに染まぬ心もてなにかはつゆを珠(たま)とあざむく

訳)濁った水の中から生えてくる花、きれいな心を持っているはずなのに、葉に置く露を玉に見せかけて人の目をあざむくとは・・・。

上の和歌は、「古今和歌集」の僧正遍照の歌で、蓮の葉の露を珠のようだと詠んでいます。

「枕草子」にも、「源氏物語」にも、蓮の花に仏の教えを匂わせています。

椿

茶の湯では、11月の炉開きから4月までの約半年間、椿がよく茶席に用いられます。

この花は、有史以前から日本の風土に育まれてきた植物です。

椿の木は硬いので、呪力を持つ神聖な樹木であると信じられ、椿でできた杖や槌は悪鬼を退ける呪具として伝えられてきました。

「万葉集」には椿が9首詠まれています。

あしひきの八つ峰(を)の椿つらつらに見とも飽かめや植えてける君

上の和歌は大伴家持が詠ったものです。椿が一面に山に連なって咲いた様子がうかがわれます。

江戸時代以降は、品種改良もかなり進み、見事な椿が次々と生まれました。

栽培も盛んになり、古九谷、鍋島焼といった伝統的な陶磁器などに椿の意匠が多くみられるようになりました。

菊は秋という観念から、茶の湯では初秋から冬にかけてよく用いられます。

お茶席で馴染みのお軸には、東晋時代の詩人、陶淵明の漢詩がありますね。

菊を東籬の下に採り 悠然と南山を見る 山気日夕に桂く 飛鳥相与に還る・・・

唐代になると、白居易(白楽天)や杜甫などが数多くの菊にまつわる詩を詠んでいます。

わが国では、菊は奈良時代末期から平安時代の頃に中国から薬用植物として到来しました。

この時代の「懐風藻」には、すでに重用の節には菊酒で厄払いがされていることが書かれています。

執筆者:山本和華子

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この記事を書いた人

寒山庵の店主、山本和華子と申します。
ライターとして活動しております。
得意分野は日本文化・京都観光・クラシック音楽・建築意匠・アートキュレーションです。
音声配信始めました→https://stand.fm/channels/642d82ec9afdfc28ca2ec7bf

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