どうでもいい男とお酒の席でわーわー騒いで、それで、刹那の寂しさを紛らわすような、そういう人生を送るような気がする。

ブログを書いてると、自分が一体、何が好きなんだろうって、わからなくなってくる。

いままでは、ぼんやりと、自分は音楽が好きとか、焼きものが好きとか、映画が好きとか、着物が好きとか、お酒が好きとか、本当に、多岐にわたって趣味があったはずなのだけれど、実際に自分でブログを書くときに、本当にそれらが好きなのか、疑問を持ってしまったんですね。

まず、それらに対する愛情を、私は、自分の言葉で書けない。

今までは、評論家、文筆家である菊池成孔さんの本とか読んで、なんとなく評論って書けちゃうものなのかなって思ってたけど、全然書けない。難しい。

先日、そういった相談を、友人にしていて、究極、私って、何も好きじゃないのかもしれないって思ったんですよね。

寂しがり屋で、寂しいから、誰かと何かを話すきっかけとしてのツールとして、そういうものが趣味だって、思い込んでただけなのかもしれなかったんですよね。

私は、ずっと、人ってそんなに好きじゃないと思ってたんですよね。一人で読書三昧の日々を愛おしく思っていたから。自分で、そう思ってたんです。

でも結局私は、ぺらっぺらで、人恋しくて、寂しがり屋で、お酒の席が大好きなアラサーってだけだったのかもしれないってことに気付いたんですよね。

また、好きを好きって、素直に言えない自分もいるんですよね。

例えば、私の気になってる男性が、「清水翔太が好き」って言ってたとしましょう。でも、私は、素直じゃないから「私も清水翔太が好き!」って言えない。

人と仲良くなりたいから色んな事を勉強してるのに、いざとなったら、うまく果たせない。

なんか嫌われるのが嫌でね。

仲良くなりたいって思っても、性で制限されるのって、すごく嫌。

「人として仲良くなりたい」のに、「異性として仲良くなりたい」に変換されて伝わってしまうのは皮肉。

それで、匿名大衆一夜限りのお酒の席でわーわー騒いで、それで、刹那の寂しさを紛らわすような、そういう人生を送るような気がする。

話を戻すと、私にも、好きなものはあって、それは、ノラジョーンズだったり、江國香織だったり、岩井俊二だったり、ドビュッシーだったりするのね。

で、それらに共通するのは、「わかりやすくて」「雰囲気」「ふんわりしてて」「霧みたいな」作品ってところなのかなって思う。

だから本音、知らんけど(笑)、ガチ勢の「クラシック音楽を愛してます」とか、「映画愛してます」とか、そういう人とは、仲良くなれないかもしれない。

表面的な、ぺダンティックな言葉のやりとりはできるかもしれないけど、本当に愛しているかは、わからない。

私は、自分の情緒が、どれだけこの世界を絡みあえているか、わからない。

執筆者:山本和華子

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この記事を書いた人

資産運用・日本文化・建築デザインを中心に記事を書いています。
ココナラにて、日本文化・京都観光・古典文学に関するオンラインレッスンを行っています。
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