小堀遠州の茶の湯には、どんな特徴があるのだろうか ~綺麗さびとは?~

小堀遠州は、戦国時代から江戸時代にかけて活躍した茶人です。

時は後水野尾天皇を中心とした、寛永時代のサロン文化を支えました。

遠州は、生涯400回あまりの茶会を開き、綺麗さびという茶道スタイルを確立しました。

小堀遠州の茶の湯の師は、古田織部です。

遠州は茶の湯だけでなく、華道、七宝、絵画、和歌にも造詣が深い人物でした。

また作事奉行としても活躍し、城郭、茶室、造園建築の分野でも活躍しました。


遠州が遠州らしい美意識、洗練されて優美な美意識をはっきりと樹立したのは、50歳になってからです。

遠州は、師と仰ぐ古田織部の創意から離れ、また千利休の創意からも離れていきました。

実際、小堀遠州は自身の茶会にて、一度も樂茶碗は用いませんでした。

千利休が茶の湯指導の根幹においた冷凍寂枯の美学は、遠州の茶会からは見えてきません。

遠州が好んで使った茶道具は、高取焼(福岡県)、膳所焼(滋賀県)、景徳鎮窯(中国大陸)の染付磁器であり、その作風は洗練・新鮮でした。

とくに景徳鎮窯の染付磁器を多用しているところからは、冷凍寂枯の美学から離反しようという意思さえ感じます。

古典となった唐物名物と寛永時代の様式の茶道具の組み合わせという、異色にして大胆な取り合わせこそが、遠州の「綺麗さび」の中核であり、また新奇さでした。

執筆者:山本和華子

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