音楽や文学など文化と呼ばれるものと、国家のアイデンティティの関係について考えてみた

はいみなさんこんにちは。

日本には、『古事記』や『日本書紀』と呼ばれるような書物が残っていますね。

またインドには、『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』などの抒情詩が残っています。

これらの書物は、勝利した一族側の視点から書かれています。

『万葉集』や仏教の『スッタニパータ』は別ですけど、

この地球に残っている古い書物はだいたいが、

「戦争に勝利した俺たちがいかに素晴らしい一族であるか、そして敗北していった豪族たちがいかに悪者であったか」

というような内容なんじゃないかと私は考えています。

それに対しては割とたくさんの学者の方々が唱えていることなので異論はありませんが、

私は、この考え方って、実は音楽文化にも敷衍できる話なんじゃないかと思っているんですね。

ヨーロッパには「クラシック音楽」という覇権が興り、

日本にはシルクロードから伝わってきた舞楽・雅楽という覇権がある。

でも本当は、日本においては縄文人や大和朝廷以前の豪族たちが奏でていた別の音楽文化もあったんじゃないか、

欧州にもクラシック音楽以前の、もっといえばグレゴリオ聖歌以前の音楽文化があったんじゃないか、

と私は考えるにいたりました。

現代、私たちがありがたがって「イランの音楽」だの「ブルガリアの音楽」だのと

世界各地の民族音楽をユーチューブなどで聴いたりするけれども、

音楽文化というのは、もっと非体系的なのかなと考えるようになりました。

音階・旋律・リズムっていう概念は欧州の作ったルールで、

そのルールに当てはめて世界各地の民族音楽を分析したり研究したりするのって、

なんか違うんじゃないかって思うんです。

「クラシック音楽」のルールとは別の音楽概念を大切にしている民族もたくさんいると思うんですね。

たとえば日本の場合は三味線の「さわり」や梵鐘の「うなり」だったり。

他国にもそういうのっていくらでもあると思うんです。

つまり、私が今回いいたいことは、

キリスト教や藤原氏などの権力が覇権を握る以前には

体系される未満の音楽文化が世界中に花開いてたんじゃないかって思うんですよね。

今日はそういう話でした。

執筆者:山本和華子

私の本、『世の中のみかたを変える 週末、アート』が出版されました。

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この記事を書いた人

オンラインショップ「三好屋京都」の店主、山本和華子と申します。
このWebサイトでは、「日本文化の魅力を世界に発信する」をテーマに書いています。
私についての詳細はコチラへ→https://lit.link/wakakochannel

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