私は、夢を諦めようと思います。
大学を卒業して、念願だった京都に移住したのは、23歳の春。
最初は、着物が好きと言うだけで、さほど大きな夢は抱いていなかった。
毎日京都のお寺や神社に行っては写真を撮ったり、
京都の学生と仲良くなって、オタクでサブカルな界隈に出入りしたり、
友達に着物を着せて、自分も着物を着て、友達と一緒に観光地を巡って写真を撮ったり、
祇園のクラブでホステスとして毎日着物を着て出勤したり、
茶道や日本舞踊のお稽古に通ったり、
キラキラした写真をインスタグラムに投稿したり、
呉服屋や着物レンタル店でアルバイトをしたり、
着物ポートレート写真集を自費出版したりして楽しんでいた。
それなりに楽しい時間を過ごせていたと思う。
そのあとに、大きな夢を抱くことになる。
「観光ガイドになる」という夢。
英語で外国人に日本文化や東洋哲学を説明できる人材になりたい、
茶道のお点前を外国人にレクチャーできるようになりたい、
日本文化の魅力を世界に発信できるようになりたい。
そんな夢が膨らんでいった。
それからは、少ししんどい生活をしていたと思う。
思うように収入が得られず、ゆえに茶道のお稽古にも満足に通えず、
英会話教室にも満足に通えず、
お洋服もごはんも満足に買えなかった。
好きなだけ好きなようにお金を使える、資産家の娘を羨んだ。
小さなころから茶道を習わせてもらっているお嬢様を羨んだ。
なんで自分だけこんな苦しいんだろうって自分の境遇を恨んだ。
完全に行き詰った。
そして逃げるようにして、沖縄の石垣島へ移住した。
そこではダイビングのライセンスや船舶の免許を取得したり、
ダイビングをしたときの動画をユーチューブに投稿したりと、
割と楽しく生活をしていた。
しかし、夢は諦めていなかった。ずっと心の隅に残ってた。
そして今、私はまったく違う仕事をしている。
今までは夢に集中していて周りが全く見えていなかったけれど、
観光ガイドから離れてみて気付いたことは、
日本文化なんて、別にそんなに大きな騒ぎではないということ。
「ニューノーマルな人間として、ただただシンプルに多国籍企業で仕事ができる人材」
として存在してもいいんだということに気付いた。
それでいいんだと分かったとき、大きな荷が下りたようで、
スッキリした。
私はもう、夢を諦めていいんだ、って、ラクになった。

