戦争・宗教・遺伝子・優生思想と人間について考えてみた

ふと疑問に思いました。

人々は各々の思う正しさを持っていて、それが宗教になる。

科学は人類共通の真理である。

なのに、なんで科学技術は宗教戦争の道具にされてしまうのだろう。

ホモ・サピエンスは、共同体の内と外を作り、仮想敵を作らないと生きていけないという、

集団社会の最適化遺伝子が、長い歴史の中で刻印されてしまったのだろうか。

ホモ・サピエンスは、遺伝子伝達ゲームに最適化されていることは自明です。

ただ、そのゲームを行使するための手段として、共通の物語(宗教)を真理だと見做し信仰し、

共同体(集団社会)の外の、別の物語を真理とする集団と戦争する本能があるのだとしたら、

幸福や心の充足・豊かさの価値を人類全員が気付いて求めるようになったら、

ホモ・サピエンスは「資本主義的向上心」や「家父長制的向上心」を放棄し、

ホモ・サピエンスは滅びるのだろうか?



遺伝子には、「生物としての役割(子どもを授かり生物として遺伝子を後世に残す)」だけでなく、「文化・芸術・遊び・愉悦・創造・思索の継承・発展の役割」も担っている。そうであって初めて、遺伝子は可愛いと私は思う。

前者の選択で得る幸せもあると思うし、両者を得る幸せもあると思う。

ただ、前者を妄信すると、生物として遺伝子を後世に残さない奴は罰当たりみたいな風潮になる。

後者としての役割をになるホモ・サピエンスがいて、初めてホモ・サピエンスは人間になるのではないのだろうか。

色んな役割を担う人が多様に分散していることこそ、人間の本質なのかもしれない。



IQ(WAIS)測定宗教と家父長制宗教は、優生思想という意味ではかなり親和性が高く、

信じる人も少なくない。

しかし、IQ(WAIS)測定宗教と家父長制宗教の発言権が強く声も大きいのは、それでお金儲けをしている人がたくさんいるということ。



人間が考える葦であるからこそ、私は、自分の人生にイエスと言える。

執筆者:山本和華子

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