市民革命と、フランスのナポレオンにまつわる世界遺産

イギリスが「産業革命」をいち早く達成し、「世界の工場」と呼ばれるようになりました。

イギリスに続き、ヨーロッパ列強諸国も次々と産業革命を起こし、販路拡大のための海外進出政策を取るようになります。

産業革命とは、「手工業」から「機械工業」へ変化する一連の技術革新のことを言います。

一方、アジアやアフリカの国などは、先進国に原材料を提供し、先進国で生産されたものを書いとるという従属国の立場を強いられていくようになります。

産業革命と時を同じくして、今度は、政治構造にも革命が起こります。

アメリカ独立革命やフランス革命などの市民革命です。

これまでの国の多くは、ひとりの王が主権を持ち、王が思うままに国を動かすという「王の国家」でした。

しかし、市民革命を経て成立した国家では、国民の代表によって国の方針が話し合われ、国民の合意によって定められた「法」によって国が運営される「人の国家」となりました。

フランスでは王権の停止と共に、新たな議会である国民公会ができました。

しかし、リーダーシップに欠ける総裁政府の中で、フランス革命は迷走を始めます。

そこで、ナポレオンが名声をあげました。ナポレオンは国民投票によって皇帝に就任します。

ナポレオンは国民の同意のもと、次々と対外戦争を仕掛けます。

その中でナポレオンはモスクワ遠征を企てますが、失敗してしまいます。

それによりナポレオンは退位に追い込まれ、エルバ島に流されます。

ナポレオンとフォンテーヌブロー宮殿

フォンテーヌブロー宮殿は、フランソワ1世によって建設が始まった、ルネサンス様式の宮殿です。

1814年、エルバ島に向かうナポレオンが配下の兵たちと別れを告げたのが、フォンテーヌブロー宮殿でした。

フォンテーヌブローの森に建つ壮麗な宮殿を、ナポレオンはこよなく愛していたそうです。

世界史と世界遺産の交差についてもっと知りたい方は、コチラの本がオススメです。


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この記事を書いた人

資産運用・日本文化・建築デザインを中心に記事を書いています。

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