報われたくて推し活をしているわけじゃないような気がする

毎朝、「今日こそ推し活の夢から覚めるんだ!」と誓う儀式を始めて、かれこれ一ヶ月が経とうとしている。

今の推しの存在を知ってから、一ヶ月。

報われないから、本当は推し活なんかしたくないよ。

普通に、普通の女の子として生まれて、普通の人に愛される人生の方が良かったに決まってる。

でも、今の推しの存在を知ったことは、あまりにも必然だったと思う。

それはまるでドミノ倒しみたいに。

私がやりたいと思い続けてきたことのすべて、推しは全部実現してきた。

私が実家極太貴族のお嬢様に対して嫉妬&発狂している間に。

私ホントに、何して生きてきたんだろう。

なんか、昨今、本当に、「シンクロニシティ」っていう言葉が、1本の羽よりも軽い言葉になっちゃったよね。

本来、シンクロニシティなんて、滅多に起こらないものなのにね。

そんな、吹けば飛ぶような陳腐な単語に成り下がっちゃって。

本来表現すべきだった本当の意味のシンクロニシティ現象は、どんな言葉で表現すれば、私の心の内を昇華することができるだろう。

「邂逅」、もうこれしかないと思う。

どうか秋元康、「邂逅」という言葉の深みを奪わないでくれ。




私は作家の端くれとして、これまでたくさんの経験をしてきた。

印税をいただくこととか、そんなことは二の次三の次だわ。

私は、自分の言葉で誰かの心を動かすことの喜びは大きい。

それは喜びであるとともに、難しさでもあると思う。

表現者だからこそ、わかることがある。

また私は不器用なので、大衆の顔色を伺って自分の表現を変えようとかいうようなこともしない。

私は私の言いたいことを言う。それはきっと、ずっと変わらないと思う。

一生、地球のお客さんでしかない、消費者でしかない人にはわからないもの。

自分が表現者だからこそ、

推しのその、自分の生きざまを通じて、

たくさんの人の心を動かしてきた軌跡を見ると、

やっぱりすごいな、

私の選んだ推しだもん、って思う。

でもきっと、これから先、推しは、私とは違う人と武相荘とか行くんだろうなって思う。

発狂しちゃう。

人生は、発狂だ。

執筆者:山本和華子

【本を出版しました】


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