挫折ばかりの人生だった、それでも生きていく理由

初めてできた夢は、舞妓さんになることだった。

高校生のとき、元舞妓の岩崎峰子さんの本を読んで、

日本文化を通して社会の富裕層や世界中の色んな人と繋がれる魅力に引かれた。

そして何より、岩崎峰子さんがかっこよかった。


しかしながら私の通っていた高校は大半が大学へ進学する高校だったということもあり、

私もなんとなく「大学に行くものなのかな」と思って、舞妓になりたいということを親に告げるでもなく、

ただぼんやりと大学に進学してしまった。


大学を卒業後、京都に移り住んだ。

京都で仕事の合間に日本文化を慈しむ生活を続けていると、舞妓にはなれなかったけれど、観光ガイドになるという道があることも知った。

それで私は急いで英語の勉強を始めることとなった。

結果・・・ボロボロでした。

いやはや、大人になってからTOEICの勉強をゼロから始めるなんてちょっと無理がありましたね。

日本文化の勉強は好きだけど、英語の勉強は全然楽しくない。

20代の頃は日本文化を愛して、あんなに毎日楽しかったのに、

30代になってから夢のために毎日楽しくも無い英語を勉強して、

毎日が砂漠みたいで、勉強も全然身につかなくて。

入社したい観光会社のTOEIC最低点数にはほど遠いなか、

毎日が全然楽しくない。

そんな中で、私は観光ガイドも諦めた。

舞妓も諦めて、観光ガイドも諦めて、

私は仕事の合間に背水の陣でこのブログを始めて、茶道具やハンドメイド作品を販売するオンラインショップをはじめて、日本文化を紹介する動画を発信するTik Tokを始めた。

ようやっと、ふたたび日本文化に向き合えた。

毎日楽しさを戻しつつある。

お金ももちろん結果としてあれば嬉しいけど、それ以上に、好きなことに向き合えている今が楽しい。

結果はお金だけじゃない。好きなことに向き合えている時間が大切。

もちろん理想を言えば、お金さえあれば、起業なんてしなかった。

日本舞踊教室に通って、茶道教室に通って、英会話教室に通って、

なりたい自分に最短距離を走り抜けたかった。

でも、ぶっちゃけ今は生活費を捻出することで精一杯。

自分のやりたいことを自分の出来る範囲で摺り寄せていくのが大切なのかなって。

今でもたまに思う。舞妓を経験したあの子と私、何が違ったんだろうって。

留学を経験して通訳をやっているあの方と私、何が違ってたのかなとか。

やりたいことは、自分の出来る範囲でやっていく。

好きなことに夢中になれている時間が、豊かである。

それがいまのところ、自分の答えかな。

執筆者:山本和華子

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この記事を書いた人

寒山庵の店主、山本和華子と申します。
ライターとして活動しております。
得意分野は日本文化・京都観光・クラシック音楽・建築意匠・アートキュレーションです。
音声配信始めました→https://stand.fm/channels/642d82ec9afdfc28ca2ec7bf

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