中国の唐・宋時代の経済の歴史

唐の時代、著しい経済発展を遂げた結果、貧富の差が生じてしまいました。

富をたくわえ、有産階級となる者がいる一方で、重税などに耐えられず、逃亡する貧農が急増しました。

そのため朝廷は、放棄地を一部の富裕層が使用することを認めました。

これにより、有産階級は土地を買い漁り、大きな力を持つようになります。

そして彼らは、地方の治安維持を名目に、自前の軍隊を持つに至ります。

唐の時代では富が一部の人間に集中し、貧困層は固定化されていきました。

唐王朝では、中央政権の管理体制のもと、マーケット開催は朝廷の認可が必要でした。

しかし、唐の管理経済体制が崩されるとマーケットや産業が開放され、それに伴って庶民出身の新勢力が台頭し始めました。

このような新勢力を形勢戸(けいせいこ)と言います。

宋王朝は形勢戸を支持基盤に成立します。

宋王朝は経済政策を重視し、経済の成長を目標とする政権でした。

宋王朝は1023年、民間の両替ビジネスを、朝廷の専売ビジネスへと変更しました。

朝廷が「交子」という預かり証を発行したことによって、

交子は公的な「兌換(だかん)紙幣(金や銀などの本位貨幣との引き換えが保証されている紙幣のこと)」となり、

それが史上初の兌換紙幣となりました。

執筆者:山本和華子



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