古代文明の建築と建築素材 ~バナキュラー建築~

私は当時大学で認知心理学を専攻しており、卒業論文のテーマは色彩心理学でした。この地域を特徴づける色彩配色は何か、というような研究をしておりました。

 その土地の気温や湿度、採れる顔料や染料など、どんなものが影響することで、その土地らしい色彩配色のイメージが形作られるのだろう、というような疑問から出発しました。

 それが今回のブログの執筆にも大いにつながっております。その土地の気温や湿度、採れる材料など、どんなものが影響することで、その土地らしい建築が出来上がるのか、知りたくなりました。

 そして鬼の形相で調べ物をし、中学生の自由研究のようなウキウキ気分で一気に書き上げました。

 みなさんにも、古代文明の建築の面白さに触れていただきたいです。

 みなさんは、「ヴァナキュラー」という言葉を聞いたことがありますか?

 ヴァナキュラーとは、「その土地特有の」「風土的」といった意味です。ヴァナキュラー建築とは、地域に土着する伝統的建築のことを指します。

 石は、横穴洞窟などの、もっとも自然状態に近い住居の基盤でした。人類は、風雨に浸食されて出来上がった岩盤の洞穴に生活空間を見つけ、そしてさらにそれを削り出すことによって、空間の拡張を始めました。

 石の中でもとりわけ、石灰石、ならびにそれが変成化した大理石が、神殿建築の素材としてよく用いられました。その理由としては、それらが石としての耐久性を確保しつつ、加工がしやすいことなど、建築素材としての優れた点が多かったからです。

 土は、建築素材として用いるには加工方法の発明を必要としました。その加工方法とは、レンガ製造です。土を型枠で整形し、乾かして固める(日干しレンガ)だけで、土はそれを石造のように組積することができるようになりました。またそれに焼成を加えれば、耐力は大幅に増しました。

 レンガによる建築行為は、ジッグラトの遺跡立地に代表されるように、メソポタミア周辺地域で特に栄えました。

 建築行為には、ある時点で集団による共同行為が必要になってきます。その共同性を、建築発展の契機として大きく内在させていたのが木材です。

 とくに高温多湿の亜熱帯では、大地は樹に覆われていますので、それらを材料とするのは当然のことでした。

 この章でわかることは、レンガ建築は日照時間が多く、日差しが強い地域で発達しやすく、木材建築は亜熱帯の地域で発達しやすい、ということです。また、木材建築が発達した地域では、人間は集団的生活を送りやすい風潮となることが考えられます。

 次は、古代文明の話に移りましょう。

 まずはここに、気候の種類一覧を載せておきます。

・熱帯雨林気候・・・一年中気温が高く、降水量が多い

・サバナ気候・・・一年中気温が高く、雨季と乾季がある

・ステップ気候・・・昼と夜の気温差が大きく、わずかな雨が降る季節がある

・砂漠気候・・・昼と夜の気温差が大きく、一年中雨が少ない

・地中海性気候・・・夏は乾燥し、冬は雨が多い

・温帯湿潤気候・・・季節がはっきりしていて、気温や降水量の変化が大きい

また、世界の年間降水量も載せておきます。

国名:単位 mm/年

日本:1668

インド:1083

イタリア:832

ギリシャ:652

中国:645

イラン:228

イラク:216

エジプト:18

それでは本題の、それぞれの文明を見ていきましょう。

目次

中国文明  温帯湿潤気候 645mm/年

 黄河・長江の2つの川により発展しました。この地域では、「灌漑(かんがい)」が行われました。灌漑というのは、農耕に必要な水を、川などから水路を作って活用することです。

 黄河文明では、地面に穴を掘って柱を立てて屋根を架けた「竪穴式住居」や、石やレンガを積み上げて壁で屋根を支えた壁立式住居が発達しました。

 一方、雨が多い長江文明では、柱や杭を建ててその上に住居や倉庫を築く「高床建築」が普及しました。

 その後、中国に都市ができてきます。その都市は基本的に四角形で、城壁に囲い込まれており、石造で複数階を持つ楼閣建築「城楼(じょうろう)」が設けられました。

 なお、中国において「塔」は仏教の仏舎利塔を示し、「楼」は人が上り下りできる高僧建築という意味合いの違いがあります。

 木材で軸組と呼ばれる直方体のフレームを築く構法を「木造軸組構法」と言いますが、漢代以降、重要な宮殿や寺院はほとんど木造軸組構法によって建てられました。

 中国・韓国・ベトナムをはじめ、中国の文化圏では極彩色に仕上げるのが一般的です。中国では古代から陰陽五行などを通して色に意味を見出していたことが、その由縁なのだそうです。

 宮殿の屋根は基本的に瓦葺です。瓦が重いため、地面に石を置いて礎石とし、その上に柱を立てるのが一般的です。

インダス文明  サバナ・ステップ気候 1083mm/年

 インダス文明は、インド北西部とパキスタン地域で起こった文明です。インダス川およびガッガル・ハークラー川周辺に栄えた文明です。

農業が発達し、「ハラッパー」や「モヘンジョダロ」のような、計画都市が建設されました。

 暑く、湿度の高い気候だったと考えられています。

 古代インドでは元々、神の像を祀るという習慣がありませんでした。しかし、その後ペルシャのアケメネス朝、ギリシャのアレクサンドロス帝国やセレウコス朝といった大国の侵略を受けることで、ペルシャ・アラブ・ギリシャ・遊牧民族の文化がガンダーラ(パキスタン北西部に存在した古代王国)文化と混ざり合うこととなりました。

 その結果、仏像をつくる文化が育まれました。

 仏像は1~3世紀、クシャーナ朝に誕生したとされます。クシャーナ朝は大乗仏教を保護しましたが、市民の人々は、ギリシャがもたらした神像をまねて仏像や仏画を生み出しました。

 この頃の美術を、ガンダーラ美術マトゥラー美術と言います。

 8~12世紀、現在のバングラデシュの地で、パーラ朝が栄えました。バラモン教(古代インドにおいて仏教以前に発展していた宗教)では幾何学的な図形を描いて儀式を行いましたが、こうした図形はヒンドゥー教や仏教に伝えられて、世界のあり方を示す「曼陀羅(マンダラ)」となり、伽藍配置にも影響を与えました。

 パーラ朝ではソーマプラ僧院という建物が建てられたのですが、ソーマプラ僧院は正方形の伽藍の中央にストゥーパを中心とした四面堂式の本堂が座している、マンダラ風伽藍です。

メソポタミア文明  ステップ・砂漠気候 216mm/年

 メソポタミアはチグリス川とユーフラテス川の2つの大河の流域の羽間で栄えました。メソポタミアは、現在のイラク、シリア、トルコ南東の地域一帯を指します。

 冬と夏の温度差が激しく、春になると雪解け水で両河が頻繁に洪水になることで、農業に適した沖積土がもたらされました。

 最大の都市ウルクでは、日干しレンガ造りの祭司建築が多数立ち並びました。

 ウルのジッグラト(聖塔)の構造は、粗製の日干しレンガを積んで核とし、外面に焼成レンガを覆いました。

 アッシリアの王宮建築群の壁画には、色彩をふんだんに取り入れられています。とくに釉薬を施したレンガを「釉薬レンガ」と言いますが、当時の人々は釉薬を用いて渦

文やライオン像を描いていました。

 また、イシュタル門は彩釉レンガを駆使しており、数千年のメソポタミア建築の到達点と言えます。

エジプト文明  砂漠気候 18mm/年

 ピラミッドが建設される以前に築かれていた墳墓を「マスタバ」といいます。それは、レンガを直方体に組み上げた墳墓で、ジッグラトに起源があると考えられています。

 正方形のマスタバの上に少し小さなマスタバを乗せ、6層の階段状にしたのが、最古のピラミッドと言われるジュセル王の「階段ピラミッド」です。

 その後、「真正ピラミッド」というものが作られます。それは、階段状の層を持たず、直線状の斜線を持つ四方錐のピラミッドです。

ギリシャ・ローマ文明  地中海性気候 652mm/年

 紀元前3000年頃、エーゲ海域に都市国家が次々登場します。その都市国家の建築は、粗仕上げの切石をおもな建材としますが、日干しレンガや木材も用いられました。

 ギリシャの都市国家ポリスは、寝殿と、岩山アクロポリス、公表広場アゴラを中心に設計されました。とくに象徴的となったのが、アクロポリスの神殿で、ヨーロッパ建築の歴史はここから始まりました。

 元々、古代のヨーロッパ建築はほとんど木造でした。しかし、紀元前2500年~1200年頃栄えたエーゲ文明(トロイア・クレタ・ミケーネ)により、本格的な石造神殿が登場します。

 この頃の神殿は「メガロン」と呼ばれ、レンガや石を積み上げて壁をつくり、木を葺いて屋根にした構造でした。そして、メガロンを多数の柱が取り囲む「周柱式」の神殿が一般化していきました。

 その後、ローマが興隆します。ローマ建築では、屋根や天井は石で造られていました。石造天井や石造屋根は、「アーチ」という技法によって可能になりました。

 アーチは元々メソポタミアですでに発明されており、橋や地下構造に使われていました。

 これを、イタリア先住民族であるエトルリア人がヨーロッパに持ち込み、神殿に転用したと考えられています。

 左右の壁からアーチを架け、そのアーチを禅語に平行に重ねていくと半筒状の空間が生まれます。この構造を「ヴォールト」と言います。

 ローマでは、焼成レンガと火山灰を材料とするローマン・コンクリートにより、コロセウムに代表される大規模な重層建築を実現しました。ローマン・コンクリートは非常に強力であることで知られています。

執筆者:山本和華子

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この記事を書いた人

寒山庵の店主、山本和華子と申します。
ライターとして活動しております。
得意分野は日本文化・京都観光・クラシック音楽・建築意匠・アートキュレーションです。
音声配信始めました→https://stand.fm/channels/642d82ec9afdfc28ca2ec7bf

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