誰かを信じて生きていくということ

私は長い間、強がって生きてきて、

家族愛とかも知らないから、

誰のことも信じようとしてこなかった。

信じたら傷ついちゃうのもわかってるし。

でも本当は、誰かを信じる人生を知ってみたいと、ずっと思ってた。




人は、どんな人と出会えるかを選ぶことはできない。

ご縁によって自然に出会っていくものである。




私はそれなりに、自分の人生の中で、理不尽さや、苦しみ、葛藤、悔しさなど、

たくさんの経験をしてきたと思う。




私は以前、ある旅人の存在を知った、というお話をした。

これまでの私のたくさんの葛藤が、その旅人の存在を知ったときに、

大きく共鳴して、そのすべてが「人生の伏線」に変化することの驚きを知った。




私はもう、死ぬまで、自分の人生哲学のようなもの、そういうものは、

誰にも理解されないんだろうと思っていた。

だからこそ、誰のことも信じないで一人で生きていくと決めていた。




だけど、もしかしたら、その旅人は、分かってくれるかもしれない。

分かってくれないかもしれない。

ただ一つ言えることは、「他者に分かってほしい」と思った時点で、

その期待は己の心の傷のもとになるということ。




分かってもらえるかそうでないかはさておき、

私は彼を見て、

自分の実存のストライクゾーンにバシッと当たる生き方を歩んでいくために、

もう少し調整の余地がありそうだなと思った。

そういう意味でも、彼はずっと、私の人生の先生である。

執筆者:山本和華子

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