窮屈な社会で、優しい人間で居続けられるということ

私はまったく優しい人間ではない。

私は自分の人生の中で、一度たりとも優しい人間になろうと思ったことがない。

みんな私を「のけ者」にしてきたのに、なんで優しくしなきゃいけないんやと思って生きてきた。




私は局所的に、人生を数寄の世界に振り切って鋭く生きてきたと思う。

分かり合える人なんていなくても別にどうでもよかった。

「変な奴」って言われても全然平気。

「バカ」だと軽蔑されることだけは、すごく嫌だった。

世の中には偽善者もいるし、打算的に優しい人もいるし、

欺瞞で優しい人もいるし、条件付きで優しい人もいる。

八方美人になるために、自称優しい人間だと取り繕う人もいる。

マジョリティや世間体に媚びへつらうために表面上優しい顔をしている人は、

マイノリティには残酷で、足蹴にしている。

まぁ世の中はそういう人が大半なんじゃないか、とも思う。

みんな、世間に対して「いい顔」をしたいだけ。

私はそういう、人の顔色を伺うだけの窮屈な社会は、一番嫌いだ。

まぁそういうわけで、私は世の中の本質を読み解く日々を送る中で、

世の中の本質を嗅ぎ分ける嗅覚は培ってきたと思う。

そういう日々の中で、私は以前、ある旅人の存在を知った、というお話をした。

その旅人は、分け隔てなく、本質的に優しい。

私のような、世間から「のけ者」にされてきた変な奴にも優しい。

本質的に優しい人は、「世間からいい人間だと思われたいから」という打算的な理由ではなく、

別の理由によって優しいんだろうなとは思うけど、

なんであんなに人に優しくあろうとできるんだろうと思った。

執筆者:山本和華子

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