一生不労所得で上がりの人生、ではなく、常に「今を生きる」ということを連続していく人生について

私は数か月前に、ある旅人の存在を知ったというお話をした。

彼の存在を知ってから、色んなことが「両立できるんじゃないか」みたいなことを考えるようになった。

「真面目であること」と「ブッ飛んだ人生を歩むこと」の両立、

「自力本願」と「他力本願」の両立、

そして、西洋哲学の「実存」と、仏教の「縁起」の両立。

「止揚」を続けていくことに、人生の醍醐味があるのだろう。

私は作家を生業として生きている。

「言葉」は、私を助けてくれるときもあるけれど、私を破滅させるものでもある。

「言葉」は私にとって、劇薬でもあり、猛毒でもある。




私は劣等感の塊で、コンプレックスの塊でもある。

自分のぽっかりあいた心の穴を埋めるために、衝動的・刹那に、

書籍を購入して書店に重課金することが辞められない、という20代を過ごしてきた。

だから、不安が襲ってきたらその都度、整形が辞められない方や、

新興宗教に貢ぐことが辞められない方を他人事とは思わない。

「言葉」は、私の人生とは切り離せないものである。

私の生業や生き方そのものを成り立たせてくれるものでもあるし、

依存症を再発させる元凶でもある。

その両輪が、「言葉」にはある。




私はずっと、安心するための「保険」が欲しかったんだろうと思う。

「自分には価値がある」と裏打ちされるような学歴とか、

親のポケットマネーで行くキラキラな留学や世界旅行、

履歴書をキラキラさせてくれる経歴とか、そういう目に見える保険。

保険を一度手に入れたら、それで人生上がりなのだろうか?

保健を一度手に入れたら、それで自分の存在には価値があると思えるのだろうか?

保険を一度手に入れたら、それが自分の自信の根拠としての印籠になるのだろうか?

保険を一度手に入れたら、それで一生、安心して暮らしていけるのだろうか?

違うよね。

先述の旅人は、ありとあらゆる世界に、自身の生きる哲学を散りばめている。

私たちファンはそれらの破片を観たり聴いたりして、「旅人ってこういう感じの人なのかな」と全体像を想像する。




人は、自分の人生を常に「創出し続けていくこと」に、生きることの本質があるのだと思う。




私は色んな大切なことに気付くのに、すごく人生を遠回りした。

でもその遠回りしてたくさんしんどい思いをして、たくさん考えてきたことが、全部、

世界のあらゆるところに遍在している旅人の破片を解読するための伏線になっていたように思う。



追伸 私は以前、その旅人と一緒に記念写真を撮る機会があったのだけれど、撮らなかった。

「彼はこれからもずっと私の心の中にいて、これからもずっと私はこの人の推し活を続けていくんだな」という、

根拠のない確信が最初からあって、

一瞬の流れ星を記念に撮るというよりも、

連綿に輝き続けている星はこれからもずっと夜空にいてくれる、という感覚。

執筆者:山本和華子

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