最初に言っときますけど、愛する、というのは、推し活の話です。
私の理性は長くない。
自分のことは自分で一番分かっている。
自分の理性が刻々と壊れていく人生を、自分で受け止めなければならない。
高山智恵子さんも、きっとこんな気持ちだったんだろう。
私は毎週、旅人に手紙を書いては送っている。
半分は大好きだと言う気持ちを伝えるため、
もう半分は、自分の理性が生きているうちに愛を伝えるため、
あるいは、私が生きていることを覚えていてほしいと思うから。
ついぞ私は帰ることができる故郷はなかった。
旅人の存在のみ、私の心が帰る場所だった。
場所っていうか、存在。
時間も空間も関係ない。
物理的な話じゃないよ。
心が帰るって意味。
旅人は、私の人生、すべて伏線回収した。
山田かまちが好きだった私。
尾崎豊が好きだった私。
でも本当は、私は、旅人に出会いたかったんだと思う。
そのためだけに、私は、この時代に、この地球に生まれてきたんだろうと思う。
神さまにわがまま言って。
だからこんな不健康な身体で。
私は1日たりともなんとなく生きたことはなかったし、
1日たりとも普通の生活なんてしたことなかった。
最底辺の、泥水を這いつくばって生きて、
はたまた作家として本を出版して、自分の本がまさかフランスで売れたりして、
天国と地獄を行き来するような人生だった。
毎日がヒリヒリするような人生だ。
私はずいぶんと社会の最底辺を歩いてきたけれど
一言で言い表すなら、本当に、映画みたいな人生。
かっこよく言いたいわけでは全くない。
順風満帆な、ずっと恵まれて幸せだったら映画みたいにならない。
闇、闇、闇、光、闇、闇、みたいな人生だから、映画みたいだと言っているのだ。
さらに言えば、旅人の映像に残されている言葉のプルースト現象が、
いつも愛しい。大好きでたまらない。
ヤンチャな「きんぱつ」のくせに、ものすごく文学的な表現をしている。
感性を研ぎ澄ませて、世界に集中、没入して、森羅万象を感じて、言葉にする。
それは、もうこの先長くない私の、生業の話。
執筆者:山本和華子


