アンデス文明(インカ帝国)・マヤ文明・アステカ文明それぞれの特徴と違い、世界遺産をわかりやすく解説

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アンデス文明(インカ帝国)

アンデス文明(インカ帝国)は13世紀から16世紀にかけて栄えたアンデス山脈一帯にあった帝国で、ペルーのマチュピチュ遺跡が有名です。

太陽の化身(インカ)とされる王により統治されていて、石造建築に優れていました。

アンデス文明は南北に長い土地に興った文明で、道路網や駅伝制が敷かれ、当時の人々は活発に移動していたとされています。

インカ帝国ではケチュア語がつかわれていました。また、「キープ」と呼ばれる縄で数字を表していたものはありますが、記録するための文字体系は確立しませんでした。

インカ帝国は政治が整っていて、各地域に行政官がおかれて管理されていました。

主食はマメ、カボチャ、イモでした。

アンデスの地にナスカの地上絵がありますが、それはインカ文明よりも前の文明により描かれました。

【マチュピチュ遺跡】

ペルーにある世界遺産で、15世紀のインカ帝国皇帝パチャクティによって建設されました。

標高2430メートルに位置する山上につくられました。

マチュピチュ遺跡には、最大で750人ほど暮らしていたと考えられています。

また遺跡には水路があり、それにより畑や居住などに水を供給できるようになっていました。

【ナスカの地上絵】

ペルーのナスカ高原にある巨大な地上絵です。古代ナスカ文化の時代に描かれたとされ、世界遺産に登録されています。

ナスカの地上絵が描かれた目的は、生活用水を確保したいという思いによって描かれたという説が、近年では有力となっています。つまり、雨をもたらすための、神々へ捧げられた信仰的な意味合いとして描かれたという説です。

マヤ文明

マヤ文明は中米にあった文明で、メキシコのチチェン・イツァが有名です。

2世紀から12世紀にかけて栄えました。300年から800年のあいだに最盛期があり、この時期にピラミッド、マヤ文字、天文学(マヤ暦)、十二進法が作られました。

マヤ文明では記録するための文字体系が完成されていました。

マヤ文明では各地域に都市国家のようなものが分散して統治されていました。

マヤ文明のティカル遺跡では、大河がないことから巨大な貯水が行われていました。

主食はトウモロコシでした。

【チチェン・イツァ】

メキシコのユカタン半島北部にあるマヤ文明の遺跡で、世界遺産に登録されています。

チチェン・イツァは、マヤ語で「イツァ族の泉の湧き出るところ」という意味です。

カスティージョ(ピラミッド)や天文台、球戯場や戦士の神殿などの遺跡群が点在しています。

カスティージョでは、マヤの最高神であるククルカンを祀っています。

チチェン・イツァのククルカンの神殿(カスティージョ)の基壇では、春分の日と秋分の日に特別に蛇の形の影ができ、ククルカンが現れます。

【ティカル遺跡】

ティカル遺跡は、グアテマラにある世界遺産です。

ティカル遺跡の最大の見どころである「4号神殿」は、マヤ暦の日付から、西暦741年に建てられたと判明しています。

この神殿は2つの頭を持つ蛇の彫刻があることから、「双頭の蛇の神殿」と呼ばれています。

アステカ文明

アステカ文明は13世紀から16世紀にかけて栄えました。メキシコのテオティワカンが有名です。

アステカでは、チナンパという畑を作り、独特な農耕技術をもっていました。

アステカ文明ではナワトル語が使われており、テノチティトラン(アステカの首都)を中心とした政治組織がありました。

主食はトウモロコシでした。

メソアメリカ(中米)では、マヤ文明が衰退したのちに台頭したのがアステカ帝国です。

メソアメリカ文明の大まかな流れは、オルメカ文明→テオティワカン文明→マヤ文明→アステカ文明です。

アステカのテオティワカン遺跡に「太陽のピラミッド」があります。これは元々、アステカ文明より前にあったテオティワカン文明のものでしたが、アステカ文明においてもこのピラミッドはいけにえの儀式に使用されました。

アステカ神話に出てくる神として、「ケツァルコアトル」があります。「羽毛のある蛇」という意味で、ケツァルという美しい鳥と、コアトルという蛇を組み合わせた神です。

知識・創造・風・天文学の神として崇拝されており、空と地を結びつける力を持っているとされています。

ちなみに先述のククルカンというのは、ケツァルコアトルのマヤ語名です。

執筆者:山本和華子

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