文化人類学入門 ~呪術的儀礼から狩猟採集民まで~

環世界という概念によって明らかになるのは、誰も「自然そのもの」や「世界そのもの」を知覚してなどいないということ。

私たちは、みずからの身体と技術を通して何らかの関係性をつくり出せる世界を生きることしかできない。

呪術には、科学技術とは異なる効用があるのかもしれない。

トロブリアンド諸島に暮らす人びと・・・危険の少ない所で行われる漁には呪術が用いられないのに対して、危険で不確実な漁では呪術的儀礼が発達している。

→技術によって自然を支配できなくなる時点で心理的な安心や希望を得るために呪術が用いられる。

社会を支える諸機能(生業、技術、経済、親族、政治、宗教など)を詳細に記述したうえで、それらがいかに関係しあいながら社会全体の統合に寄与しているかを分析する方法論

雨乞い儀礼の主眼は、儀礼に参加する人びとの集合的な営為と、降雨という自然現象を連続的に結びつけ、季節の移り変わりとともに耕作し収穫していくといった周期的な秩序を打ち立てる

妖術や聖霊は当の社会において、社会統合に役立ったり、社会的な緊張を和らげたり、あるいは社会変化に対する人びとの不安や葛藤を表現するといった機能を果たしている。

かつて、西洋美術の鑑賞態度とは、美しさを判断する態度であるべきで、実用性にもとづく判断を芸術に用いるのは不適切とされてきた。

美しさ以外の価値に重きが置かれる工芸のような生活品は、芸術とは一線を画すべきという見方があった。

芸術には美という本質があるという見方から、芸術は制度によって芸術になるという構築的な見方へのシフトが生じた。

「未開美術」では音楽、踊り、詩、造形美術などが未分化のまま複合体を形成しており、多くは祭礼装飾という用途をもつため、西欧美術とは異なる鑑賞の視点が必要である。

贈与交換においては宗教、法、道徳、経済、芸術の領域がすべて混然一体となって駆動しているので、そこで用いられるモノを説明するにあたっては、芸術的価値のみを取り出すわけにはいかない。

カラハリ砂漠の狩猟採集民として知られるサンは、遊動生活を送りながら居住集団(キャンプ)のメンバーが共同で行う野生の動植物の狩猟採集活動によって生計を立ててきた。

肉に代表される重要な食料が得られた場合は、お互いに顔見知りで親族関係にあるキャンプのメンバーにできるだけ平等に配られていた。

この共同と分配に基づく兵頭主義的な規範は、一日平均に換算すると、4~5時間という少ない労働時間で、キャンプのすべてのメンバーが十分な栄養を得ることを可能にしていた。

サンの子どもは、長い年月を自然のなかでの遊びに費やすことで、狩猟採集に必要な知識や技術を序所に身に着けていた。

こうした社会においては、狩猟採集活動をつうじて得られた物質的資源が特定の誰かに集中したり蓄積されたりすることはなく、そのメンバーすべてに対して平等に分配されている。そして、何を学ぶか、どんな仕事をするかという問いは、青年期に短時間で決断を迫られるものではなく、長い時間をかけてみずから徐々に答えを形作っていく。

執筆者:山本和華子

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