鈴木大拙(だいせつ)とは、明治から昭和にかけて活躍した仏教学者です。
禅についての著作を英語で著し、仏教、とくに禅の教えを海外に紹介しました。
現代人は閑暇(ひま)を失っている
現代人はとにかく忙しいという話はよく聞きますが、鈴木大拙の考える閑暇(ひま)とは、どういったものなのでしょうか。
現代人の悶(もだ)える心には、真に人生を楽しむ余裕はなく、ただ刺激を追って、一時的に快楽を楽しんでいるに過ぎない、と彼は説いています。
理想の生活は、ゆったりした教養的享受のためにあるのか、快楽と感覚的刺激を求めるためにあるのか、どちらでしょうか、と彼は問題を提起しています。
生活様式が、美術的作品となる
禅の教えを実行する者は、生活様式がそのまま美術的作品となると彼は説いています。
私たちは自然の恵みによって、「生きるということの芸術家(アーティスト・オブ・ライフ)」を実現できるのです。
生きることの芸術家のあらゆる日常の行為は、独創と創造性と個性を表します。
したがって、あたかも吹く風のごとく、思うがままに振る舞えばよいのです。

人間は人工知能にはなれない、ならないのである
人間性というものは、機械化してしまうと無くなってしまいます。
人間の創造性、潤いとか柔らかみとかいうようなものがなくなってしまう。
人間はどうしても機械にはなれない、ならないのです。
これは現代に当てはめると、人工知能の話にも繋がりますね。
言葉は記号に過ぎない
言語は記号に過ぎず、もの自体ではありえません。
ところが、言葉というものはあまりに便利なので、私たちはともすると、それを実在だと認識してしまいがちです。
お金だってそうです。お金は元々、価値のある物の代わりです。しかしそれがあまりに便利なので、私たちはお金そのものに価値があるかのように扱うようになってしまいます。
言葉はお金のようなものです。禅僧たちはこのことを良く知っています。
実際に禅の教えには、「不立文字(ふりゅうもんじ)」という、本当に大事なことは言葉に拠らない、という言葉があります。
本質が何でるのか、見極めることが大切なのですね。
人間の特典とは
人間は苦しむようにできていて、その苦のゆえに、苦を離脱するとも克服するともいえるのですから、苦を避けるのは人間らしくないということになります。
苦しみ能(あた)うということが人間の特典であるとすれば、十分にこれを味わっていくべきでしょう。
苦を避けるというのは、人間という自分の特権を棄てるということになります。
これは斬新な考えですね。今日から、何かつらいことがあったら、「人間の特典を今まさに味わっているんだ」と考えてみようと思いました。

人間と人間の衝突をどう考えるか
人間の性質には、矛盾や衝突というようなものがありますが、それこそがすなわち人生であるとも言えます。
矛盾、衝突、それをそのままにして置いて、そうしてその間を生きる、という方法もありますでしょう。
綺麗事を言って臭い物に蓋をするのではなく、矛盾や衝突がある上で、そういうものをまず認めることが大切なのです。
鈴木大拙さんは主に、1950年より1958年にかけて、アメリカ各地で仏教思想の講義を行いました。
つまり、敗戦後ですね。日本とアメリカの間柄を思い、人間と人間の衝突の話をしたのではないでしょうか。
世界人としての日本人としての務めについて
「現在(当時1947年)のところでは、自分は世界人としての日本人のつもりでいる。
そして日本人として、世界中の精神的文化に、貢献すべきものがあると信じている。
これを世界に広く伝えるのが日本人の務めだという覚悟で生きている。
海外の放浪もその時には何の役に立つのかと思ったこともあった。が、今になってみると、またとない経験であった。」
とても興味深い言葉だと私は思いました。1947年といえば、敗戦直後です。
私は彼の思い、戦後を体験した人々の思いを、繋いでいきたいと思いました。
執筆者:山本和華子
【参考文献】
【本を出版しました】


