大学(学士)で認知心理学を専攻した私が、なぜ現在、環境考古学に魅せられているのか

はいみなさんこんにちは。

私は高校生のとき、親に第一志望校の大学の入学を反対され入試さえ受けることもできず、

不本意な地方私立大に入学したというお話は以前に述べました。

大学では友達を一人も作らず、キラキラなキャンパスライフは1秒も送りませんでした。

まさに暗黒時代。

ただ、3年次から入った認知心理学のゼミは大ビンゴで、

ゼミに入ってからは、知的好奇心の花を大きく咲かせ、大いに卒業論文の執筆に明け暮れたのでした。

そのゼミの担当教官がアートが好きとのことで、私の話もよく聞いてくださり、とても良い先生でした。

さて。

心理学はユングが確立したわけでも、フロイトが確立したわけでも、アドラーが確立したわけでもありません。

心理学のスタート地点はヴィルヘルム・ヴントです。

心理学という学問は、科学という研究方法によって研究が進められてきました。

ただ、私は学部時代から、

「いやいやいや、実験参加者(被験者のこと)の大半がアメリカ人である心理学の論文の言説に、

日本人はなかなか当てはまらないのでは????」と思っていました。

そもそも人間って、住んでる地域によって、生活文化や価値観、生活スタイルも違うし、

したがってその人の心も変わってくるのでは?と思っていました。

私は当時、「認知科学」という学問の中で、「外部環境(温度や湿度、その辺に生えている植物や鉱物など)をヒトがいかに認知することで、芸術や文明・文化、建築スタイルを創出するのか」という側面に関心を持っていました。

昨今、認知科学は目覚ましい発展を遂げています。

しかしそれは、「人工知能(AI)」という側面の研究です。

日本の認知科学研究で有名な人に、苫米地英人先生がいますが、

私からすると、苫米地先生の本、1ミリも面白くないwwww

いや、苫米地先生を批判しているわけではなく、そもそも研究対象が違う人なんだなぁという印象です。

なんていうか、知性や叡智というものを一つの最適解に収斂させていくことに、私は関心が無い。

だから、例えば、多雨地域の、湿度が高い地域では、Aという文明・生活文化・宗教が興隆し、

砂漠地域の平野部では、Bという文明・生活文化・宗教が興隆するとか、

そういう「違い」ができるだろうと、私はずっと考えていました。




大学卒業後、私は自分の興味の赴くまま、さまざまな本を読んできました。

その中で、世の中には流行りの学問があるんだな、その学問の流行には流行り廃りがあるんだな、ということに気付きました。

私は地理学に関心があったのですが、大型書店にすらあまり地理学の本はなく、

アマゾンにも地理学の本は絶版のものが多い。

それに反して、地政学が大流行している。

地政学も読んだら読んだで一応面白いですが、別にそこまで、って感じです。

産学連携だとかなんかそういうのに関係するんだろうね。

あとは、大手の出版社からしても、「地政学」をテーマにした本なら、売れやすい。

私は長年、「外部環境(温度や湿度、その辺に生えている植物や鉱物など)をヒトがいかに認知することで、芸術や文明・文化、建築スタイルを創出するのか」に関心がありましたので、

世界史や芸術表象、建築史などの本を好んで読んでいましたが、そういった中で、

「西欧人の主張が強いな」という印象を受けました。

アートにもヒエラルキーを作り、中東美術の情報があまり出回らない。

世界史入門書を読んでも、ヨーロッパの政治や戦争云々の話に明け暮れ、

ソグド人やフェニキア人、その他ユーラシア大陸の多くの騎馬民族の歴史や中継貿易商人の歴史について何も書かれていない。

「勝てば官軍」の、勝者側の一辺倒の物語に興味無い。

一つの視点からしか語られない物語、マジでつまらない。

まぁそういう感じで読書生活を続けていたのですが、

なんのご縁かはあまりよく覚えていませんが、

ある日、石弘之先生、安田喜憲先生、湯浅赳男先生の共著の、『環境と文明の世界史』という本を、

アマゾンでは絶版になっていたのでメルカリで入手し、読み始めました。

これだ!!!!と思いました。

私が長年探していた情報はこれだ!と思いました。

「環境」と聞くと、やれ「エコ」だの「エコバッグ」だの「紙ストロー」だの、

「SDGs」だのというキラキラ女子のイメージがあるかと思いますが、そういうのではありません。

本来の「環境」という意味です!!!!!!!!!!

そういうわけで、私はこれから、「環境考古学」を学んでいこうと思います。

執筆者:山本和華子

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