生きる苦しみ
私はずっと、焦燥感と渇望感をガソリンにして生きてきたと思う。
「自分は空っぽなんだ」という劣等感が強く、その苦しみから逃れるために読書を繰り返していた。
読書から得たものは多かったけれど、私にとって読書というのはカンフル剤みたいなもので、
読書を辞めればまた焦燥感、渇望感、劣等感に苦しむことが繰り返される。
私はずっと、びっしりと読書ノートを書いてはいたが、その読書ノートは適当に押し入れに放り込んでいた。
しかし、昨年の11月の一か月間、引きこもって、その大量の読書ノートを整理したり、
フセンにタイトルを書き込んでファイリングし直したりするようにしたりしていた。
すると、「まぁこんなにも読書してきたのか」と我ながら驚くばかりだった。

「何者か」になる
読書するだけで自動的に「何者か」になれるわけではない。
「何者か」になるには、正しい努力の方向性が必要であることが最近理解できるようになってきた。
私にとって「何者か」というのは
●日本文化を世界に発信する
●世界の森羅万象を学び、体系化する
●逆境を乗り越えて豊かに生き直す
ということで、特定の職業名ではない。
でも、もし一言で言い表すならば、「探索家」に近いような気がする。
探索家というのは一生かけてなるものだから、ここらへんは諦めたり、焦ったりする気はない。

失敗から何を学べるか
失敗から何を学べるだろうか。
●私は、実家の太いお嬢様に嫉妬したが、何も得られることはなかった。
→嫉妬したところで、何かを得られるわけではない。
ただ、嫉妬の対象を見ることで、自分が何を欲しているのか(キラキラ留学、キラキラ世界一周したい)が明確になった
●履歴書をただキラキラさせることだけが価値ではなかった。
私はずっと、実家の太いお嬢様のキラキラな履歴書が羨ましかった。
キラキラブランド大学に入学して、キラキラ留学している彼女らがとても羨ましかった。
しかし、投資家のナヴァル・ラヴィカントが、こう言っていた。
「本当の履歴書とは、自分の経験したすべての苦しみのことである」
最初、この文章の意味がよくわからなかった。
しかし、様々な経験をしていくうちに、ナヴァル・ラヴィカントの言うことが少しずつわかってきた。
キラキラな留学というのは、究極、お金があればできて、代替可能な経験である。
しかし、苦しみ(それが理不尽なことであれ何であれ)をどう乗り越えてきたかの経験というのは、
唯一無二の、代替不可能なものである。だからこそ価値のあるものと言えるわけだ。
●焦燥感、渇望感、劣等感から逃れるために、ただ読書を繰り返したり、書籍を衝動買いして大借金を作った。
→ありえないくらいの本を購入してきた。
今は、メルカリで本を手放し中。幸いなことに買ってくださる方が多く、ありがたい限りである。
本当に大切な本だけを手元に置いておく。
焦燥感、渇望感、劣等感から逃れるための衝動的な行動からは、何も生まれない。
目標から逆算しておこなうことのみ、何かを生み出せる。
●「空っぽな自分」から逃れるために、人生の近道や裏道を探していた。
→本多静六氏も言うように、人生に近道も裏道もない。
アンドリュー・カーネギーが言うように、誠実に生きることが一番大切である。
自分を満たしていくためには、日々の習慣が大切である。
洪自誠氏が言うように、もし人生の近道や裏道で生きている人がいたとしても、自分は近付かない。


努力の正しい方向性
【方向性を定める】
具体的なゴールを設定する。
そのゴールから逆算して、自分が今いる地点との差を明確にする。
そうすることで、何に集中すべきかが見えてくる。
【失敗の価値を最大化する】
過去の失敗から、「何をしてはいけないか」という重要な情報を得ることができる。
失敗とは、データの1つに過ぎない。
失敗を、学習の材料として活用すべきである。
【努力の結果を毎週振り返って確認する】
日々の改善、修正が結果に結びついていく。
執筆者:山本和華子
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