私は、親や祖父母に愛されたような記憶があんまりない。
唯一、父方の祖父に愛されていた記憶はある。
でも私が住んでいたのは母方の家だったから、毎日が地獄だった。
「愛されてなかった」というか、
「大切にされてなかった」とか「大切な存在として受け入れられてなかった」みたいな感じ。
私は出身校に対して愛校心は皆無だし、地元愛も皆無。
自分の生きてきた形跡を愛したことがない。
つまり、自分の存在を愛してないし、肯定もしてない。

私は、愛とは無縁の人生を生きてきたと思う。
生物は、ごはんを食べていれば生きていける。
でもたぶん私は、人として大切なことの多くを知らないまま、
今まで生きてきたんだろうと思う。
GPTに、「自分が、世界で一番大好きな人を、世界で一番愛せるんだという自信は、どうやって育めばいいでしょうか」とたずねても、よくわからない回答しかもらえなかった。
何を言っているのか、よくわからなかった。
何をどう努力して頑張れば、そういう自信ってつくんだろうね。
どんな自己価値を築くための努力をしていくべきなのか、全然わからない。
というか、私はこれまでの人生、それなりに頑張ってきた方だとは思うけど
大きな何かがが欠けたまま、生きてきたような気がする。
社会との関係性とか、人との関係性とか、そういう、「関係性」や「信頼感」がすごく希薄。
自分が社会や他者から傷つけられないように、予防線を張るのは得意。

唯一、「幸せ」ではある。
作家として執筆活動をしたり、自分の本を出版したり、
色んなことを考えたり、読書をしたり、
一人でふらっと旅にでかけたり、
最近ようやく、自分で自分を幸せにできるようになった。
私は、家族をはじめとした他者から愛されたことがないから
他者から愛されないことがデフォルトでこれまで生きてきたし、それが私の生活の通常運転だった。
他者から愛される自分が、まったく想像つかない。
でも、愛を知らなくても、人は生きていける。
愛を知らなくても人は生きていけるけど、ちょっぴりさみしい。
寂しいというか、
「今日、美味しいごはん食べたよ」とか、
「こんな悩みがあってね」とか、
「あなたがいて私はすごく幸せだよ」とか、
「そばにいてくれてありがとう」とか、
そういうことを大好きな人に伝えられる人生を歩んでみたい。
執筆者:山本和華子

