「欠けているものは、欠かせないもの」

欠けているものは、欠かせないもの。

これは、ある旅人が以前言っていた言葉。

本当にそうなのかな。

どうなんだろう。

私には、欠けているものが多すぎる。

まず、親の愛を知らない。

ずっと母親のヒステリックに付き合わされてきたし、

母親の不機嫌に付き合わされてきたし、

母親の存在否定に付き合わされてきたし、

母親の軽蔑に付き合わされてきた。

父親は、知らん。



愛を知らない私が、今世、誰かを愛することなんてできるのだろうか。



寂しいと思う日もあるけれど、

寂しいと思ったら人生が粉砕してしまうから、

あんまり思わないようにしている。

私は、人さまから、

「変わってる」とか「天然」とか「バカなのか天才なのかよくわからん」とか、

色々言われてきた。

世の中、自称天才の繊細さんが急増しているけど、

私は別に自分が天才だとか思われようだなんてまったく思ってない。

その話の詳細は、以前の記事にも書いた。

たとえば、私が両利きだから天才とか、言われても嬉しくない。

もともと左利きなのに、めちゃくちゃ矯正されてしんどい思いして

中途半端に両利きになっただけで、得られた人生は、不器用な人生ってだけだった。

私の心の穴は、どうすれば満たされるのかな。

これ以上傷つかないように、世の中や他人に、あんまり期待しないように生きてきたというお話を、

以前の記事に書いた。




頑張って努力して、一人で生きていかなきゃいけないのに、

みんなより不器用で、みんなより要領が悪くて、失敗ばかりしてきて、

その日、その日を生き延びることだけで精一杯で、その日暮らしで、

自分の価値や魅力を積み上げていく余裕なんて全然なかった。





本当は愛されたいし甘えたい。

寂しいし、人さまから自分の存在を、無条件に、そのまま肯定されてみたい。




私には欠けているものが多すぎる。

本当にこの莫大な欠けているものたちは、

私にとって欠かせないものなのだろうか。。。

執筆者:山本和華子

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