『武士道』が書かれた背景
『武士道』は1899年、新渡戸稲造によって英語で出版されました。
1899年といえば、日本が日清戦争に勝利して、ようやく世界の列強の仲間入りを果たそうとしていた時期です。
世界が日本に注目していた時期にあたります。
ベルギーの学者、ド・ラブレーの「日本には宗教が無い、道徳教育はどうやって授けられているのか」という質問に対する答えとして、新渡戸稲造はこの『武士道』を書いたと言われています。
日本という新興の小国が大国・清を倒したことに対する驚きと警戒心が、当時の欧米人に芽生えました。そういうわけで日本とは、「好戦的で野蛮な未開の国」というイメージが定着することとなりました。
また、切腹、ハラキリという凄惨(せいさん)な実態を通して、世界の日本に対する野蛮な国というイメージは決定的になりました。
このような、日本は好戦的で野蛮な国、という欧米の強固なイメージに対して、正面から反論した本が、この『武士道』になります。
このような、日本は好戦的で野蛮な国、という欧米の強固なイメージに対して、正面から反論した本が、この『武士道』になります。
新渡戸稲造は、日本とは礼儀を備えた文明国である、と主張しました。
では具体的に、『武士道』にはどんなことが書かれているかを見ていきましょう。

『武士道』の内容
武士道は、封建制の時代に入った源頼朝の時代(12世紀末)に成立しました。
この『武士道』では、武士が身につけなければならない教えは、義・勇・仁・礼・信・名誉・忠義と説いています。
きわめて儒教色が強いことがわかります。
この中でも、名誉は武士の信を支えるもので、武士がもっとも希求したものです。
そして忠義は、誇り高い武士の名誉を希求する行動を表しています。
武士は、名誉の裏返しである「恥」を常に恐れていました。
常に完全に保たれているべき名誉や、常に高潔であるべき名が侵された事態を、「恥」であるとする思想です。

日本人には、欧米人が奇妙と感じる振る舞いがいくつもありました。
その一つに、「謎の微笑み」があります。
そもそも日本人は、「勇」の徳によって、苦痛があっても物を言わずに耐え抜く忍耐力をつけ、「礼」の徳によって、相手を思いやって、自らの感情をあらわにしない態度を身に着けています。
自らのことを声高に主張するのを好まない点や、「言わずともわかる」とお互いの心を黙って推し量ろうとするような点は、国民的性格の一端だと言えるでしょう。
謎の微笑みは、逆境によって乱された心の平衡を回復しようとする努力を隠すという働きがあります。
日本人が絶えずそのような微笑みをする必要があったのは、日本人が本来敏感すぎる側面を持っていたからであると、彼は説きました。
この本が書かれた時代から現代にいたるまで、欧米は自分たちの価値観・論理をグローバル・スタンダードとみなして、そのほかの国に押し付けようと努めてきた側面があります。
しかし、日本にもまた、独自の価値観があり、道徳があり、伝統があり、文化があります。それを再認識するために、今でもこの『武士道』を読む価値があると言ってよいでしょう。
【本を出版しました】
日本文化は、ただ格式高いだけじゃないし、ただ綺麗なだけじゃない。
本書を読むことで、日本文化を多角的視点からとらえることができるようになります。
日本文化とは、一辺倒の歴史だけで語れるものではありません。
本書は日本文化の入門書であると共に、茶道や美術、刀剣や文学など、幅広いテーマを取り扱っています。
また、富山藩の売薬商人の歴史や、安楽庵策伝の茶人としての顔など、上級者向けの内容も書かれています。
そして、著者独自の視点で鋭く書かれた文章も一読の価値ありです。



