お久しぶりに、ある旅人のお話をしますね。
以前、旅人は、テキーラみたいな人だと例えたことがある。
テキーラみたいに、誰とでも仲良くなれる人。
翻って私は、アードベッグみたいな人。
誰とでも仲良くなれるわけじゃないけど、刺さる人には刺さるという人。
以前私は、なぜ旅人はあんなに人に優しくあろうとできるのだろうというお話をした。
それと同時に最近は、なぜ旅人はあんなに、人に対してオープンマインドでいられるんだろうと疑問なのだ。
オープンマインドだし、たぶんだけど、目の前の人を最初から信頼しよう、という気持ちでいるんだと思う。
私は絶対にそんなことできない。
そんなことしたら、心がズタズタに傷ついてしまう。
「変わってる」って言われ慣れすぎた人生だったと思う。
「気難しい人」「やばい人」「あなたは一体何者なんですか」とか、色んなことを言われすぎた。
そんなことを言われたくて生きてるわけじゃないのに。
ただ愛に包まれて、心満たされて穏やかに暮らしたいだけなのに。

私はついぞ家族や親族と信頼関係を築けないまま、今日にいたる。
たぶん、信頼って、愛という概念に近いんだろうと思う。
家族の葬式に行く予定は無いし、家も土地も墓も相続する気はない。
財産もいらない。何もいらない。本当はいつだって分籍したいと思ってる。
私はもうこれ以上傷つきたくないから、たぶん、これから先、死ぬまで、心を閉ざしたまま、生きていくのかなとか思う。
本当は、いつか、生きているあいだに、誰か、世界で、たった一人でいいから、心を開いてみたいと思う。

追伸 先日から、香川由利子さんという翻訳家が翻訳した、とあるフランスのエッセイを読み始めている。
ほんのり、江國香織の描写を彷彿とさせる。
というか、江國香織の『きらきらひかる』のリアル版なのではないかと思うほどである。
私もこういう関係、憧れ焦がれる。
でも最初、この男、パートナーのことを蝶々夫人的な扱い(港々に女がいるみたいな感じ)にしようとしてたんか~~~~ずるい男やな!!!みたいな感じで、読んでいて面白い。
あと、誰とは名前を書いてないけど、すごいね、時代。パートナーが南米の人で、ところどころに「革命、革命」って書いてあるの。すごいよね、あまりにもシンクロニシティすぎねぇか。
執筆者:山本和華子


