ロシアの歴史
ロシアの歴史は、ノルマン人のリューリクがロシア最初の都市ノヴゴロドを862年に建設したのが始まりです。
その後、リューリクの子であるイーゴリを擁した一族が建国したのが、ロシア最初の国家であるキエフ大公国です。
時代は下り、ロシアではロシア革命が起こります。
ロシア革命とは、1917年にロシアで起こった二つの革命を総称する言葉です。
この二つの革命の結果、当時ロシアを支配していた当時のツァーリ(皇帝)であるニコライ二世が倒されてロシア帝国が崩壊し、史上初の社会主義国家である「ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)」が誕生しました。
1905年当時、ロシア帝国の皇帝にはニコライ二世が就いていました。
当時、皇帝の暮らしはあまりにも高慢で、農民や中間層は不満を抱えていました。
さらに1905年には日露戦争に敗北し、当時のロシア国民の多くが、帝政の政治に強い不満を抱くようになりました。
そして1905年、11万人もの人々が、大規模なデモ行進を行いました(ロシア第一革命)。政府の軍隊は民衆のデモ隊に向けて発砲し、1000人前後の民衆が亡くなったと言われています。
この政府の対応は、国民の反感をさらに高めました。
そこでニコライ二世は社会改革を実行し、不満をもった国民との関係を改善しようとしました。
「ドゥーマ」と呼ばれる行政組織(ロシア初の選挙によって選出される議会)の設立を認可しました。
皇帝の実施した改革は国民の支持を集め、デモや抗議運動は一旦収まりました。
しかし、1914年に第一次世界大戦が始まり、ロシア帝国もこの戦争に参加しました。そして、大量の死者と負傷者をもたらしました。
人々は次第に、戦争に対する不満を抱くようになっていきました。
そして1917年2月、ついに首都のペトログラードで大規模なデモが発生します(二月革命)。
ペトログラードは無政府状態に陥り、ニコライ二世は退任を余儀なくされ、ロシア帝国は崩壊しました。
二月革命以降、ロシアに誕生した新しい暫定政府は、穏健派と急進派の間で対立していました。
急進派のグループはボリシェビキと呼ばれ、メンバーの多くは労働者階級で、ウラジミール・レーニンの共産主義イデオロギーの信奉者でした。
1917年10月、ボリシェビキがクーデターによって権力を掌握しました(十月革命)。
こうしてボリシェビキの共産主義体制は、その後のソビエト連邦の基礎を作っていきました。
十月革命によって、世界初のマルクス主義を基盤とした体制が樹立し、ウラジミール・レーニンは実質的なロシアの独裁者となっていきました。
ソ連の経済体制の大部分は国有化が進められ、五か年計画に基づいてすべてが管理されていきました。
しかし、この中央集権的な計画経済は徐々に限界を露呈し始めます。
1980年代には経済の停滞とともに物資の欠乏が深刻化し、国民の生活は厳しさを増しました。
ウラジミール・レーニンが死亡したあと、ヨシフ・スターリンは、ライバルであったレフ・トロツキーと対立を繰り返しました。
そして一九二九年に共産党の権力を掌握し、「スターリン体制」を作り上げていきました。
スターリンは、レーニンの後継者である第二代最高指導者としてソ連を主導して、また独裁者としてソ連を主導しました。
一国社会主義の立場を取り、五か年計画を推進して工業・農業の集団化を進め、反対派を次々と排除・粛清していきました。
スターリン体制のもと恐怖政治が展開され、何百万ものソ連国民が命を落としました。
スターリンの死後、ソ連の共産党は、「脱スターリン化」を掲げ、スターリン下で作られた軍事組織や刑務所などを解体しました。
しかし、ソ連の「経済の全てと、国民の日常生活のほとんどを管理下に置く」という体制は変わりませんでした。
さらにソ連は、最大の敵国であったアメリカとの軍拡競争に、多額の資金を費やすようになります。
このような状況の中で、ミハイル・ゴルバチョフが1985年、最高指導者となります。
ゴルバチョフは、この経済と政治体制のままではソ連を維持することは不可能であると知ります。
ソ連を救済するために、「グラスノスチ」と「ペレストロイカ」という改革を行いました。
それにより、自由な思想や言論が可能になったため、ソ連に対して批判的な声が高まりました。
結果、1991年、ゴルバチョフは共産党の指導者を辞任し、ソ連の解体を公式に発表しました。
その後、ソ連は国名をロシア連邦と改め、エリツィンが初代連邦大統領となります。エリツィンは自由主義・市場経済を導入しました。
ロシア経済は急発展を遂げたが、自由化の恩恵を受けたのは、外国資本や新興財閥(オリガルヒ)だけでした。
1999年、エリツィンは政界引退を発表します。後継者としてプーチンを指名しました。
プーチンはオリガルヒの脱税の取り締まりを強化しました。プーチンはオリガルヒのトップを、脱税などの容疑で次々と逮捕していきました。これにより国家財政が改善しました。
またプーチンは、外国資本に握られていた会社を次々と国営化していきました。 現在、プーチン大統領がロシア国民から強く支持される理由は、ロシア経済を外国資本や新興財閥から取り戻し、国民に利益を還元していったからだと考えられています。
ロシアの産業・経済
農業はロシア経済の柱の一つです。世界最大の小麦産出量を誇り、亜麻・サトウダイコン・ジャガイモなどの各種農産物に関しても世界屈指の規模です。
ロシアの国土は鉱物資源に恵まれており、金、銀、ダイヤモンド、銅、ニッケル、コバルトなど二十種類以上の鉱物が世界シェア十位以内の産出量を誇っています。
また、天然ガス、原油、石炭の採掘量は世界屈指のものとなっており、少なくない国がエネルギー資源をロシアからの輸入に依存しています。
しかし、資源輸出に依存した経済は、脆弱性が課題となっています。 2015年にはアメリカにおけるオイルシェールの開発が進んだことによるシェール革命によって、原油価格が急落しました。
ロシアの政治
ロシアは現在、半大統領制です。しかし、大統領が強力な権力を持っています。
大統領は国民の直接選挙で選ばれ、その国の代表となる国家元首です。また大統領は、軍の最高司令官でもあります。
広い国土を有するロシアでは、21もの共和国があります。これらの共和国の多くがロシア人以外の少数民族で構成され、将来的に独立を求める可能性を秘めています。 それぞれの共和国には、それぞれの民族と歴史があり、文化が異なることも珍しくありません。
執筆者:山本和華子
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