そもそも人類は生存し続ける必要があるのか ~天才と「自称天才」について~

人類は、というか「ヒト」の遺伝子は、

生存戦略のために、ランダムに一定数、突然変異をして、いわゆる「天才」を生み出すことで、

絶滅しないで生き延びてきました(諸説あります)。

大衆凡人は、ぼんやり呑気に生きていくことができますが、

たまたま「天才」という貧乏くじを引いた人間は、

ヒトの遺伝子の生存戦略のために、これまでの長い人類史のなかで、

さまざまな発明や創造をしてきたり、はたまた結果を出せないまま一生を終える者も多かったです。

天才は、結果を出さなければ大衆から「社会のお荷物」と揶揄され、

結果を出せば出したで、大衆から手のひらを返したように称賛される。

でも、映画「イミテーションゲーム」を観ればわかりますが、

彼ら天才は、別に称賛されたり脚光を浴びたりしたいわけではありませんでした。

ただ、大好きな人に愛されて、穏やかに暮らしたいだけ。

たまたま引き受けた貧乏くじによって、なぜこんなにも翻弄されなきゃいけないのでしょうね。

ヒトの遺伝子は、子孫繁栄のために最適化されており、

「愛されるために」だとか、「幸せになるために」だとか、そういうものに最適なわけではない。

ランダムに貧乏くじを引くリスクを引き受けてまで、「ヒト」は生存し続ける必要があるのだろうか?

追伸 昨今、繊細さんやHSS型HSPなどの界隈で、「自称天才」が猛烈に増えている。

天才を自称して、何が楽しいんや?

何らかの職にありつけてパートナーがいて、普通の暮らしを享受できているのに、

その上天才を名乗りたいだなんて、あまりにも強欲すぎるだろ。

そんなんでホンマに「繊細」なんかよ。

執筆者:山本和華子

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