スッタニパータとは、原始仏教「パーリ仏典」のひとつです。
スッタニパータは、ブッダが直接口伝えで教えていた時代のものであり、ブッダが一番伝えたかった内容に迫っています。
ちなみに「パーリ仏典」の内容には「ダンマパダ」もあり、そちらも有名です。
スッタニパータには、繰り返し「執着しないこと」が書かれています。「執着の心」について、さまざまな角度から描写することにより、その概念が明確に浮彫になります。そして、それを捨ててしまおう、という内容として一貫しています。
それでは具体的に、スッタニパータの言葉に触れてみましょう。
ヴァーセッタの経
何ものをも持たず何ものにも捉われない人、そのような人をわたしはバラモンと呼ぶ。
蓮の葉の上の露や、錐の先の芥子粒のように、もろもろの情欲に汚されない人、そのような人をわたしはバラモンと呼ぶ。
在家者、出家者のいずれとも交わらず、家なくして遍歴し、欲の少ない人、そのような人をわたしはバラモンと呼ぶ。
こだわることなく、あまねく知って、疑いなく、不死の本源(普遍的真理)を見出した人、そのような人をわたしはバラモンと呼ぶ。
陰りのない月のように、清く、澄んで濁りがなく、世間的な歓びの状態が尽きた人、そのような人をわたしはバラモンと呼ぶ。
この世の愛欲を捨て、家なきものとして遍歴し、情欲にかかわるような状態が尽きた人、そのような人をわたしはバラモンと呼ぶ。
生まれによってバラモンなのではない。
生まれによってバラモンでない者でもない。
おこないによってバラモンとなるのである。
おこないによってバラモンでない者となるのである。
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迅速の経
ビクは、こころの内をこそ、鎮めなさい。
他者に安らぎを求めてはいけない。
こころの内が安らいでいる人にとって、どうして、得られるものや捨てられるものがあるだろうか。
食べ物や飲み物、また、固い食べ物や衣服など、得たものを貯蔵すべきでない。
また、それらが得られなくても悩んではいけない。
【参考文献】
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