はいみなさんこんにちは。
私は曹洞宗の生まれなのですが、最近、出家したい気持ちが強まっています。
キレイで整った文章にはならないかもしれませんが、読んでいただけると嬉しいです。
私は貧困家庭で生まれ、虐待(ネグレクト)を受け、不条理な苦しみを受けて育ちました。
学校を卒業してからは京都に移住し、人生を取り戻すために、華やかに遊びつくしました。
祇園のクラブでホステスをする傍ら、着物モデルをやったり、京都観光に明け暮れたり、
クラシックコンサートに行ったり、日本文化を学んだり、
YoutubeにVlogを投稿したりして過ごしていました。
そんな生活をするうちに、通訳案内士(観光ガイド)になりたいと思うようになり、
英語の勉強の独学を始めました。
京都観光を一通りやり尽くしたのち、沖縄の石垣島へ移住しました。
石垣島ではリゾートバイトをする傍ら、スキューバダイビングのライセンスを取ったり、
船舶免許の免許を取得したり、船を出して釣りに出かけたりしていました。
そして、コロナ社会が到来し、これ以上リゾート地では遊べなくなったので、
京都に戻り、引きこもり生活を始めました。
引きこもりをする中、このWebサイトを立ち上げました。
何もすることができないので、kindleでエッセイを出版したり、
今まで撮影してきた写真をオンラインで販売したり、
広告業で稼いだり、
ライターの案件を受けたりして生活していました。
そして最近はコロナも明けたので仕事を再開し、
現在に至ります。
なぜ私が出家して尼さんになりたいと思うようになったのか。
元々私は強欲な人間でした。
貧困家庭に生まれた自分の境遇を認めることができなかった。
社会の裏道を探しては社会の旨いこぼれ汁を吸える場所を長い間探していました。
でも、そんな場所はありませんでした。
とにかく親が憎い、社会が憎い。
親や社会を恨むばかりでした。
長い間恨んで恨んで恨みつくして、
もう、恨むことに疲れた。
親は確かに理不尽でしたが、
社会は中立(ニュートラル)だということが最近わかりました。
社会に何か恩返しがしたい、というのが、僧侶になりたい理由の一つ目です。
私は社会福祉にも興味があり、保護司になりたいと思っていた時期がありました。
しかし問い合わせてみたところ、私には持病があるため、保護司にはなれないことがわかりました。
私にはもう一つ夢があります。それは、教誨師になることです。
唯一、聖職者が教誨師になれます。
人の幸せを、じっくり寄り添いながら考えたい。
私は遠回りばかりして生きてきました。
私は、効率良く社会的地位を得てきた人とは違う哲学をそれなりに持っています。
そういう私だからこそ、誰かに寄り添える人材になりたい。
それが、私が僧侶になりたい二つ目の理由です。
私には持病があるので、恋愛を通して人さまを幸せにはできない。
私はそういう身体を持って生まれてきた。
子どもを産むという選択肢が無い。
推しは、私ではない別の女性と幸せになるべきで、
だとしたら私の存在意義とはなんだろうか、と。
ある種、世捨て人になりたいという思いもある。
世捨て人というか、
恋愛→結婚→妊娠→出産→子育て
という一般常識のスタンプラリーに参加しない。
誰かの妻になるとは、その誰かが他の女性と幸せな関係を築いていく可能性を奪うことである。
私はそんな可能性は奪えない。
私は縁を手放して生きていきたい。
推しの幸せを慎ましく祈っていく人生にしていきたい。
いわゆる一般的な「女の幸せ」を捨てるためにも、出家したい。
それが三つ目の理由です。
私はこれから、華やかな生活をするつもりはありません。
茶道具を集めるとか、
訪問着を集めるとか、
何か国旅行に行ったことがあるとかいう国の数で競い合うマウントの取り合いとか、
そういうことはどうでもいいです。
私は貧困家庭に育ち、ネグレクトを受けて、いろんなことを我慢して育ちました。
一般中流層の人々より「持たない」人生には慣れています。
昔は、社会の裏道を走り抜けることで一般中流層と同じ土俵で戦っていきたいと闘争心を燃やしていましたが、
今は、持たざる側であること、そのものが、私にとっての人生の課題であり、学びだったのかもしれないと思うようになりました。
世の中には、
恋愛・結婚をしてお子さまを授かって子育てをするという学びを得ていく人もいれば、
一流と言われる大学を卒業して社会的地位の高い職業に就くことで学びを得ていく人もいます。
その中に、たまたま私は、持たざる側で生きていくという学びを得ていくのでしょう。
だからこそ、人は、他者と比べることがなんと愚かであるか、という話なのだと思います。
世間の価値観の物差しを捨てるためにも出家したい、というのが4つ目の理由です。
最後に。
私は親に愛されませんでした。
私が一番行きたかった大学の入試代が35000円だったのですが、
その35000円、親が出し渋って私の人生は終わりました。
私の価値を証明するブランドが無いままに、これから生きていかなきゃいけない。
自分の価値を証明するブランドという武器が無いままに、社会を戦い抜いていかなきゃいけない。
私は親から、愛されなかった。
一生のうちに、誰かに世界一愛される、という経験をしてみたいと願ったこともありますが、
それはもう諦めようと思うのです。
誰かに愛されようとあくせくするより、
まず自分を愛する。
社会に貢献する。
自分にできるところからまず実践していこうと思います。
2023年5月25日 山本和華子