キリスト教の新約聖書の「正典」と呼ばれるものは、
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人による福音書を指します。
これ以外の、イエスに関わる文書はすべて、「外典(がいてん)」と呼ばれます。
今日はその外典のうちの、『トマスによる福音書』について、解説していきたいと思います。
『トマスによる福音書』の概要
1945年、エジプトにて『トマスによる福音書』が発見されました。
『トマスによる福音書』がほかの正典と異なる特徴に、奇跡や復活のエピソードの記述はほとんどなく、
イエスの言葉だけが記述された「語録集」であることが挙げられます。
儀式や、教会にお金をいくらいくら寄付して何らかの肩書を手に入れるとかそういうことではなく、
内面的な探究によって真実を見つけることを強調しています。
自身の中に神の国を見出すことが奨励されています。
グノーシス主義との関係
『トマスによる福音書』は、グノーシス主義と深い関係があります。
古代ギリシャ語で「知識」を意味する「グノーシス」は、精神的な深い洞察を指します。
グノーシス主義者たちは、内面的な啓示や直感によって幸せになる(救済)と考えました。
グノーシス主義は、汎神論にも似た立場をとっています。
イエスは、木にも石にも、神が「光」として内在すると説きました。
『トマスによる福音書』の内容
それでは実際に、本書にはどんなことが書かれているかを見ていきましょう。
なお、ここに取り上げた内容は、私が自分の心のアンテナに反応したものだけをピックアップしていますので、
ぜひみなさまにも、全文を読むことをおすすめします。
【9】種は、種まきによって人間のうちに蒔かれますが、
良い実を成長させ、それを大きく育てるのは、良い地、良い資質をもった人間のみなのです。
【67】イエスが言いました、「すべてを知っていて、自己に欠けている者は、すべてのところに欠けているのです。」
【100】人々がイエスにお金を示し、そして彼に言いました。「カイザルの人々が、私たちから貢を要求します。」イエスは言いました。「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい。そして、私のものは、私に返しなさい。」
自分なりの生きざまの美学やスタイルを構築していく
私は以前、出家しようとしていた時期がありました。
しかし、「出家して僧侶になる」や、「新興宗教に入信する」というような、
何らかの権威に入ることで、何者かになって安心を得るというのは、
究極、私のやりたいことではないな、と思うに至りました。
なんか、大衆や世間を観察していたら、みなさん、権力からの答えをありがたがって自分では何も考えないで、ただ安心したがっているだけなんだな、ということに気が付きます。
私は、自分で情報を取りに行って、情報を選んで、自分の頭で考えて、自分なりの答えを導いて、
自分なりの生きざまの美学やスタイルを構築していく、という人生の方が豊かで楽しいな、
ということに気付きました。
執筆者:山本和華子


【参考文献】