最後は、大きな運気の流れに身をまかせるということ

以前、「私は自分の努力が結果に結びつきにくい体質である」というお話をした。

私の人生は、9割、「塞翁が馬」で生きてきた。

自分の努力ではどうにもならないことが圧倒的に多かった。

自分のこの努力が、何か人生の実りや成果に直接つながった、という実感がまるでない人生を歩んできた。

努力によって人生は実らない。でも、知らんところでひょっこり幸運をつかむような人生だった。




「人事を尽くして天命を待つ」みたいな感じで、できるだけ、自分なりにできることは全部やって、

あとはもう、大きな運気の流れに身をまかせて(テレサ・テン?)、

自己実現を果たしていくしかないんだろうなと思う。

一種の「諦観」でもあると思う。




人は多かれ少なかれ、自分の人生の成果や実りは、100%自分で管理できるわけではない。

私はたぶん、その「管理できない部分」の比率がかなりデカイ特性があるんだろう。



人は、神さまからどんな才覚や欠点を与えられるか、自分では選べないし、

両親からどんな名前を与えられるかも、自分では選べない(まぁこれは後天的に変更可能)。




こんなにねぇ、へんてこりんでド天然で、気難しい私がメンターと出会えるなんて、マジで奇跡なんよ。

「セミナーの交流会とかに行けば、気の合う人ひとりやふたりに出会えるだろう」とかいう次元じゃないんよ。

ほんとにねぇ、あまりにも「代わりの効かないご縁」ばかりの人生だった。




私、結構、占いが好きで(笑)、手相を占っていただいたりもした。

あとはなんか、辰巳天中殺(空亡)とか、印綬とか、八相局とか、天王星人マイナスとか、

「集中変人の星」とか(どういう星???)、色々占い師の先生からアドバイスをいただいた。

たぶんだけど、私は、「自分の努力や裁量ではどうにもならない体質」なんだろうと思う。

「集中変人の星」についての詳しい内容は、拙著『天命と処世』に書きましたw




仏教には、「縁起」という考え方がある。

人というものは、宇宙、人さま、環境、社会など、ありとあらゆるご縁の中で成り立っている。

私はその、大きなご縁や巡る円環の中で、自分のおこないがどんな風に周囲に影響を与え、

また与えられるかというのは、自分では制御できないことの方が大きい。

だからこそ、日々、ひたむきに、誠実に、シンプルに生きるのがいい。

執筆者:山本和華子

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次