10年後、人に嫉妬したり羨んだりする人生にはしたくないと思う

はいみなさんこんにちは。

私は以前、『実家の太いお嬢様への嫉妬を、いよいよ手放すときがきた』という本を出版しました。

医者の娘が、親御さんのポケットマネーで世界旅行に行っていることが羨ましくて仕方がなかった。

でも、10年後も私は、その医者の娘に嫉妬したままでいるのか?

それは絶対に嫌であります!

10年後は、「この自分の人生でよかった」と自分の人生を肯定・承認できるようになりたい。

そのために、逆算して、今から自分ができることは何か、考えていくべきなのです。



それはそうと、昨晩、私はあまりにも悔しくて泣いていました。

ある旅人のような、人生の開花ができていない自分が、ものすごく悔しい。

旅人のように、私も自分の人生を開花させていきたい。

そもそも「人生の開花」とはどういう状態を指すのだろうか?

それが、今の私の課題であります。

私は、一人で黙々と情報収集したり執筆したりすることが好きです。

でも、実は、人と喋るのも、めっちゃ好きです。

人は、人とのご縁によって豊かになっていくものです。

「そういや私、人と喋るのは元々めっちゃ好きだったよな・・・」と思い、

久しぶりにバーにふらっと立ち寄りました。

そのバーには女性バーテンダーが2人いらっしゃって、

ジャニーズと斎藤工の話で大盛り上がりしましたwwwwww

ただの女子会w

斎藤工のド変態なところとか、映画評論家としての才覚があるところとか、好きな人は好きだと思う。

人と喋る機会を増やしていくことで、どんな風に自分の作家人生に影響があるかは未知数だけど、

これからは、「人と会う」ことを重点的に挑戦していこうと思います。

人には、自分で自覚している強みや得意なこと、長所や才覚があると思います。

でもそれ以外に、「経験」も、大きな強みであると、最近気付きました。

その経験って、今までの私だったら「どこどこ大学を卒業して、どこどこに留学して、世界一周する!」

とかいうような、キラキラしたものだけを選んで「経験」と呼んでいたかと思います。

でも「経験」って、それだけじゃない。

地面の泥水を啜って泥臭く足掻いてきて、そして這い上がった経験というのも、

その人の一つの経験であり、強みなんだろうということに気付きました。

というかたぶん、後者の方が圧倒的に代替不可能な強みなんだろうなと。

私なんかはよく、「もっと効率の良い生き方ができなかったもんかね」と、

自分の人生を振り返りがちですが、その遠回りの経験さえ、生きる糧となる、と信じている。

私は、人とのご縁も、ずっと、代替不可能なご縁を探していた。

これは私の仮説だけど、キラキラしようとすればするほど、

みんなやってる代替可能な経験に収斂しがちになるのかなと思っている。

代替不可能な経験やご縁というのは、きっと、豪奢とは別のところにある。

私とある旅人のご縁も、代替不可能なご縁だと思いたい。

人が、歳を取ることの良さって、何なのでしょうか。

特に女性は、歳を取ることに抵抗があるように思います。

私が20代の頃は、右も左もわからず、非常にしんどい思いをして、

結果も見えずにずっと足掻いていたように思います。

でも、30代の今、一つの大きな困難・逆境を乗り越えた経験を経て、

特に効率の良いライフハックが見つかったとかもないですし、

何か大きな収穫や人生の結果が修得できたとかではありませんが、

「あんな死ぬしかないような、どうしようもなかった困難でも、乗り越えられるんだ」と分かったことは、

とても大きかったように思います。

だからこの先、何か困難があったとしても、

「乗り越えられるかもしれない」と思えるというのは、大きい。

経験を積むことというのが、歳を重ねることの良さの一つなのではないか、と私は思っています。

それでもやっぱり、私にはずっと、自分の空っぽさ、空虚さがつきまとっています。

その空虚さと対峙していくことが、私の今後の課題だなと感じています。

執筆者:山本和華子

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