瀧本哲史先生と、チェ・ゲバラについて ~バトンを受け取る私たちが次の世界を創っていくということ~

はいみなさんこんにちは。

先日、ある方の存在を知って、非常に感銘と衝撃を受けたと同時に、

「私の今までの人生って、一体何だったんだ」と己を振り返っては落ち込んだりもしていました。

その方を通じてチェ・ゲバラのことを思い出し、今日は少し、チェ・ゲバラについて調べていました。

チェ・ゲバラが成し遂げたかったことは、稼ぎたいとか有名になりたいとか、英雄になりたいとかじゃない。

ゲリラ戦も本当はやりたくなかったんじゃないかな。

目次

チェ・ゲバラが成し遂げたかったこと

チェ・ゲバラは、1928年にアルゼンチンに生まれた革命家・医師で、キューバ革命の中心人物の一人です。

チェ・ゲバラは、当時アメリカ合衆国がラテンアメリカ諸国の経済・政治に介入し、富を収奪していたことに対して、強い怒りを抱いていました。

当時の多くのラテンアメリカ諸国では、見かけだけの選挙や腐敗した政治体制が機能しておらず、本当の民意が反映されていないと見ていました。

チェ・ゲバラの思想の核心には、マルクス主義がありました。搾取の解消と、社会主義体制による平等社会の実現を目指しました。

また彼は、「新しい人間(El Hombre Nuevo)」の創造、道徳や連帯によって動く新しい市民像を提唱しました。

彼の説く「新しい人間」とは、自分の利益だけでなく、社会全体の幸福のため(利他)に行動する人間のことを指します。

マルクスは富裕層生まれだったのに、なぜ彼の思想は貧困層に刺さったのか?

はい。

貧困育ちの私はここで疑問が湧きました。

「富裕層育ちのマルクスの思想が、なぜ貧困層に刺さるんだろう。マルクス主義って、貧困層に夢みさせるためのものでしかないというか、まやかしでしかなかったんじゃないか」

ものすごくニーチェのルサンチマンって感じですねwww

まぁそういうわけで、GPTにたずねたら、このような回答がありました。

「マルクスが取り組んだことは、自分の体験を語ることではなく、なぜ社会には貧困が生まれるのかについて、徹底的に分析することでした。」

「だからこそ、「マルクスは俺たちの苦しみの正体を言語化してくれた」と感じた労働者が多かったのです。」

とのことでした。

瀧本哲史先生のこと

実は私、学生時代に一度、エンジェル投資家の瀧本哲史先生とお会いし、名刺交換させていただいたことがあります。

瀧本先生のお父様が心理学の先生であったこと、そして私が当時大学で認知心理学を専攻していたことで、

親を乗り越えたいという心の葛藤(のようなもの)」について、

少しの時間ではありましたが、対話させていただいたことをよく覚えています。

あのときが、最初で最後の、瀧本先生の講義でした。

「社会人になったら、絶対に瀧本先生と一緒に仕事がしたい」と強く思っていました。

しかし、それは叶いませんでした。

瀧本先生は、日本の未来を本当に危惧し、考えていました。

たくさんの方も思っていることでしょう。私もそうです。

瀧本先生の思いを継ぎたいと思っています。

瀧本先生とチェ・ゲバラのこと

瀧本先生とチェ・ゲバラは、共通点が多いと私は思っています。

生きざまそのものが、後世を生きる私たちに強いメッセージを遺した。

後世を生きる私たちが、彼らのバトンを受け取って、より良い世界を創造していかなきゃいけないと思いました。

さて、私の思う「より良い世界」とは何か?それについての詳しい内容はコチラ↓

なぜ私が日本とアジアについて学ぶのか

私と一度お喋りしたことのある方ならわかるかと思いますが、

私はめちゃめちゃ「窮屈な日本社会で苦労してそうなキャラ」という感じのキャラをしてます(笑)

じゃなかったら、自分の会社に「寒山社」なんて名前つけないよ(笑)

たいてい、私みたいな「不思議ちゃん」「天然ちゃん」は、英語を勉強して、

カナダやオーストラリアとかに留学に行って、

「日本ってこういうところがダメだよね~」みたいなYoutube動画をとりがち。

そんな中、なんで私は、(あえて苦手な)自国を学ぼうと思ったのか。

それは、やっぱり、元芸妓さんの岩崎峰子さんの存在を知ったのが大きかったと思います。

岩崎峰子さんは現在、岩崎究香という名前で、日本文化の魅力を世界に発信する活動をされています。

「自国の歴史や文化を知らずに、世界を知ることはできない」

私は彼女の姿を知り、そう思いました。

実際に日本史を深く学ぶことで、世界史の共通項が見える機会も多々あります。

例えば、「なぜ日本で『古事記』や『日本書紀』が編纂されたのか」を学ぶと、

なぜインドで二大叙事詩が書かれたのかが分かる。

人間の根源的な欲求のようなものには、共通するものがある。

それをユングは、「集合的無意識」という言葉で表していますね。

先日、私は『アジアの民族文化』という本を、文彩堂出版から出版しました。

私は、アジアやユーラシア大陸に、とても関心があります。

学べば学ぶほどに、新たな発見があります。

今でも、ヨーロッパ圏やアメリカ合衆国では、アジア人差別が根強いです。

なんでかというと、おそらくですが、彼らは、ヨーロッパ中心史観のようなアイデンティティを強く持っている。

古今東西の美術を調べていくとよくわかるのですが、

「キャンバスに絵具で描くだけがアートではない」ことに気付くのです。

私たち日本人がぼんやりとそのようなイメージに収斂されがちなのは、

ヨーロッパのとある芸術学校が、アートのヒエラルキーを作ったからなんですよね。

だから私たち日本人は義務教育で、輸入されたヨーロッパのヒエラルキーの概念をそのまま教わるわけです。

でも、アートというものはそれだけじゃない。

中東ではガラスや陶磁器などの工芸が盛んだった歴史があり、

東アジアや東南アジアでは、石窟が盛んでした。

挙げればきりがないくらいに、「芸術」の範囲は広いです。

何が言いたいかっていうと、人類の歴史や文化、学問はヨーロッパだけが作ってきたわけではないし、

勝手にヒエラルキーを作られても困る、というわけなんですよね。

さいごに

他者理解というのは、簡単なことではありません。

時間をかけて、これからも動いていこうと思っています。

執筆者:山本和華子

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次