イエス・キリストがマグダラのマリアに伝えたこと

以前私は、岡田温司著『マグダラのマリア』から、マグラダのマリアについて解説しました。

私がマグダラのマリアに興味を持ったきっかけは、以下の2点であるということも以前お伝えしました。

・なぜマグダラのマリアは、自分は愛する人に愛される資格があると思えたのでしょうか。仮に彼女が罪深い女性だったとしたならば、「こんな私なんて、愛される資格なんてないんだ」と思ったのではなかろうか?

・マグダラのマリアは、自分が愛している人、しかもその愛している人は当時の有名人なわけで、自分がその愛している男性のそばにいることで、他の女性から嫉妬されたり、他の女性の信者がイエスのもとから離れたりというようなことはなかったのか?

今回は、宝彩有菜著『マリアの福音書解説』から、この謎について斬り込んでいきましょう。

目次

イエス・キリストの本当の教えとは

旧約聖書はユダヤ教の聖典(キリスト教の聖典でもある)ですが、

その旧約聖書には、ユダヤ人が紀元前14世紀頃に、エジプトを脱出したエピソードが書かれています(出エジプト記)。

ユダヤ人たちのエジプト脱出は、とても大変なことでした。

彼らは、自分たちの民族がまとまるために、おぞましい神のイメージをしつらえました。

そのおぞましい神は、「人間は生まれながらにして罪を負っている(原罪説)のだから、

神が裁こうと思えばいつでも裁くことができる」という特徴をもっていました。

イエス・キリストは、そのおぞましい神のイメージは必要ないと、否定しました。

それに代わる愛・信頼・肯定・感謝が、本当に人間の幸福に必要なことだと説きました。

これらを大切にしていくことで、私たちは本当の自分に出会うことができて、喜びと幸せに満ちた世界になる。

もともとイエスは、宗教を始めようとは思っていませんでした。

旧約聖書の世界観の縛りから、人々が自由になれるような考え方を説きました。

ペテロとマグダラのマリアの確執

イエスの弟子のひとりであったペテロは、イエスと親密な関係にあったマグダラのマリアに対し、

随分と嫉妬していたらしいです。

キリスト教の新約聖書のうち、正典と呼ばれる四連福音書というのは、

イエスの殉死の後に、多くの人によって編纂されました。

その四連福音書は、マグダラのマリアのことをなるべく語らない、語ったとしてもなるべく悪いように書いていることが特徴です。

しかし、多くの外典(正典以外の、イエスに関わる文書)では、

マグダラのマリアのことは、弟子のリーダー格として描写されているのです。

マグダラのマリアは一般的に、「罪深い女性」のイメージがあります。

しかし、そもそも、彼女は罪深い女性ですらなかった、との見解もあるのです。

そのイメージは、後世の人々によって、後付けによって流布されたイメージだったのです。

執筆者:山本和華子

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