「作家」という生業は、私にとって本当に天職だと思う。

私はものすごく、人生を遠回りしてきた。

成果の出ない暗黒期を、丸々10年間過ごしてきた。

それでも私は、自分の人生を諦めたくなかったし、妥協もしたくなかった。

目次

好きな街で、好きな人と、面白い空間や経済圏をつくる

現在、私の本は、「10万トン アローントコ」さまと、「HONBAKO京都宇治」さまに置かせていただいている。

HONBAKO京都宇治のオーナーの方は女性の方で、

私のおっちょこちょいなところや、

推し活の影響で病み期がたまにあって、何もかもすべてを投げ出してしまう(作家としてどーなんそれw)ところ、

やらかしまくることも全部受け止めてくださり、それでも本を置かせていただいている。

本当に感謝している。

HONBAKO京都宇治では箱主さん同士で仲良くなることもあったり、

各々面白い企画やイベントを主催したり、色んなゆるやかな繋がりができる。

10万トン アローントコの店主、かじさんとは本当に長いお付き合いで、

かじさんは京都の独立系書店カルチャーの重鎮の一人だと、私は勝手に思っています(笑)

このお店が好きな人や、かじさんのお人柄が好きな人が、

「私は本を書いています・・・」と自分の本を持ち寄ったり(私)、

「僕はオリジナルTシャツ作りました・・・」とオリジナルグッズを持ち寄ったり、

「私はウェブサイト作れます・・・」とお店のHPを作成したりと、

みんながそれぞれ、わらわらと好きな世界観を持ち寄ることで、

ブリコラージュの空間を作り上げているのって、ものすごく面白いお店のあり方だなと思った。

もちろん、それはボランティアではなく、お金も発生する。

打算ではなく、純粋な「好き」から始まる経済システムって、とても幸せなビジネスのあり方だと思う。



私は現在、信頼しているチームで自分の本を出版している。

信頼しているチームと共に、未来に残り続ける、価値耐性の長い(深い)プロダクトをつくる、

という生業が私の天職であれたことが、すごく嬉しいなと思う。

天職、天命、召命(コーリング)のこと

「天職」とはときに、「calling」とか、「召命」の意味にも使われることもある。

私は以前の記事で、「自分の努力は、100%、自分で管理できるものではない」というお話をした。

人は、神さまからどんな切り札、強み、贈り物(Gift)をさずけられるか、自分で選ぶことはできない。

そして、他人の持っている切り札を羨ましがっているうちは、永遠に自分の人生が拓かれることはない。

ドイツ語では、「贈り物」という言葉の意味には、「毒」の意味も含まれるのだそう。

私にとっての「言葉」にも、似たようなものがある。

神さまから与えられるGiftというのは、両価性を帯びるものなんだろうと思う。

メンターとの出会いも、きっと両価性を帯びるものなんだろうと思う。

ただ優しいだけじゃない。ただ愛があふれているだけじゃない。

ただ未来を開拓するだけじゃない。ただ豊かさを創出するだけじゃない。

たぶん、出会いにも毒はあるんだろうと思う。



人は、どんな苦難を乗り越えなければいけないかの、その苦難の種類を選ぶことはできない。

私には天命がある。

1、貧困育ちでも、引きこもり経験者でも、挫折して夢を諦めた人でも、悪に手を染めてしまった人でも、どんな人でも、いつからでも、一生涯、心豊かに学び続けられる環境を作ること

2、人類の文明・生きてきた形跡・生きる知恵を後世に繋げていくこと

3、逆境を乗り越えて人生を豊かにしていくこと

実家が太くて親に愛されていて順風満帆に生きていたら、天命に出会うことはなかった。

人生は、自分の自由意志と選択で形づくられることの方がたぶん少ない。

向こうから与えられて、初めて気付くものの方が多いかもしれない。

カラヴァッジョ作「聖マタイの召命」について

カラヴァッジョの作品に、「聖マタイの召命」というものがある。

暗闇に、一筋の光がさす。みな、「あの光は何だ」とそちらを向くにも関わらず、

当時、徴税官だったマタイは、「オレは関係ねぇし」といったような感じで、下を向くままだった。

しかし、その光が導こうとしたのは、まさしくマタイだったのである。

執筆者:山本和華子

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